無意識日記々

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天翔る星と消えない星

『大空で抱きしめて』でキーセンテンスはどれか?という問いに多くの人が『天翔る星よ消えないで』だと答えるだろう。しかしこれ、冷静に考えてみるとよく意味がわからない。

『星』が何の比喩かと問われれば、『道』に登場した『消えない星が私の胸に輝き出す』の『星』だと答える。これはつまり『私の心の中にあなたが居るいついかなる時も』そのものだ。『星』は直接『あなた』そのもの、或いは『あなた』の象徴だ。まぁこれは賛同を得られるだろう。

しかし、だとすると何故『大空で抱きしめて』で『消えないで』と強く願わなければならないのだろうか? 『道』において『消えない星』と言い切っているのに。どこかで消える危険があるの?

いや勿論『道』と『大空で抱きしめて』は別の歌なのだから物語も別なんだと言われればそれまでだし、その解釈に間違いはない。仮にこの2つの歌を繋げて解釈したらどうなるだろう?という話だ。そうでしかない。

さて、冷静な解釈をすれば、「私の胸に輝き出した星」と「天翔る星」は、在る場所が違う。胸と天。心の中と空である。それをそのまま受け止めるには、『大空で抱きしめて』を『道』よりも前の段階の歌だと捉えねばなるまい。『道』は、曲調からもわかる通り"吹っ切れた"歌だ。『真夏の通り雨』で絶望と悲嘆に暮れ、『花束を君に』で何とか折り合いをつけた"私"が力強く前に踏み出す歌である。

一方『大空で抱きしめて』は『夢の中でしか会えない』〜「夢の中で会う」歌だ。これは、『夢の途中で目を覚まし瞼閉じても戻れない』と歌う『真夏の通り雨』と同じフェイズにあると考えるしかなくなる。果たして、『道』にまで辿り着き、『Fantome』という本人が『二度と作れない』と形容する名作の次のステップの最初に、こんな"後ろ向き"な"過去に遡った"歌を出してくるだろうか? 次回はそこら辺について考えてみたい。

…もし全く違う話題に移っていたとしたら、どうか察してあげてね…今ちょうどオシシ仮面状態だからね…(それは言わない約束でしょ(笑))。