無意識日記々

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悪癖持ちの古参が居直ってるの巻

『大空で抱きしめて』から繋げて聴く曲はまず『Forevermore』ともうひとつ、『テイク5』があるのだが、ついついいちいちその歌詞を比較してしまう。

これが長年のいちファンの悪いクセで、詞は作品で現実とは直接関係ないってしつこく言われてるのにどうしたってその時のヒカルの心境を夢想してしまうのだ。本当に悪いクセだ。

大通りを避けるのと冷たい草の上に倒れ込むのは、雑踏と喧騒から抜け出してきた感は共通してるな、『For You』と合わせて、変わらぬヒカルの歌の導入方法なんだな、とか。『始まりも終わりもない 今日という日を素直に生きたい』と『私の終わりなんて怖くない もしかしたら生まれ変わっても忘れない』は対照的だけど通低するテーマは同じだな、とか。

『大空で抱きしめて』と『テイク5』の歌詞を比較するのもまた一興で。『テイク5』では『会わない方が喧嘩する事も幻滅しあう事もない』っつってたけど『大空で抱きしめて』では『君はまだ怒ってるかな』って明らかに喧嘩してるし挙げ句『傷ついたのはお互い様だから四の五の言わずに抱き寄せて』ですよ。幻滅し合うのを恐れて会う事すら躊躇ってたのに今は喧嘩して仲直りの為に抱けと宣う。どんだけ積極的なの。

この積極性の理由が「相手が死んでもう会えないから」だとすると、恐ろしく切ないね。

『テイク5』では『空のように透き通っていたい』とか『今日という日を素直に生きたい』と言っているのに『大空で抱きしめて』では『雲の中飛んでいけたら』って全然視界不良だし、『Forevermore』では『生まれ変わっても』とか『今日も会えず泣かせる』とか完全に今日という日を拒否してるし、昔に比べて随分積極的になったとみせる一方で虚無性もまた増している。

本質は変わらない。表現が豊かになり続けているだけ。これが学ぶということ、成長するという事なのだろう。長年(でもないなまだ18年だ)追い掛けているとみえる事、気づく事が沢山ある。自分自身じゃ気づけないような事もね。これも愛情表現として受け止めといて。