無意識日記々

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今日はそういう日

歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』は352ページだそうなので88×4ページ。アルバム6.5枚分の歌詞なら1曲あたり4ページ程割ける事になる。見開きで歌詞を描いてもう2頁で解説、みたいな体裁だろうか。そこに各界の有名人のコメントが入る、と。出来ればヒカル自身に語って貰いたいがやや手間かな。あんまり作品の過去を振り返りたがらない人だし今は制作中だし。

ただ、『あなた』に関してはとっとと自主的にコメントを出しているのが他と違っているような気もする。穿っていえば、過去曲について語り尽くした流れで最新曲の『あなた』についても勢い余って語りたくなった、とかなら期待がもてる。妄想でしかないが。

ヒカルは1998年12月9日デビューだから20周年は2018年12月9日。即ち再来月の12月9日でデビュー19周年を迎えて20年目の活動に突入する事になる。そこからの「20年目イヤー」が1年続きそこから「20周年イヤー」が1年続く、なんて書くと詐欺みたいだが6年半も待ったんだから2年間祭りが続くのも悪くない。まぁこちらとしては特に盛り上げずに淡々とマイペースで毎日を紡いで欲しいのだがそれは最高の贅沢だからな。

そんなこれからの空気を考えた時に『歌詞集』って地味なんじゃあないだろうか。コンサートとかミュージックビデオ特集とかテレビラジオ出演とかの華やかさからは一定の距離がある。誰がどういった動機で企画を立ち上げたのか知りたいものだ。

『点』『線』はその多くが既出の記事・内容だった。もし『言葉』で歌詞が各曲見開き2頁ずつだとしたら200頁近くが"新情報"になる可能性がある。ちょっと待ってと言いたくなる量である。果たして消化できるのだろうか。発売と共に「20年目イヤー」が加速していくかもしれないのに、ちゃんと心ゆくまで味わえるだろうか。不安というか諦めというか、毎度ながら妙な気分である。新曲は嬉しいが、ちゃんと消化し切れないうちにもう次の曲が出る。私が『桜流し』を大好きなのは、時間をかけてゆっくり味わう事が出来たからなのかもしれない。時間が思い入れを深くしたのだ。『Fantome』の曲だって未だに「?」ばかりである。その「?」が、『大空で抱きしめて』によって、『Forevermore』によって、『あなた』によって次から次へと書き換えられていく。歌と歌がかかわり合いながら、過去の解釈を少しずつ変質させて『宇多田ヒカル』という四次元実体を構築していくのだ。まったく、ついていけている自信がない。あれ、なんか前
回(今朝)と同じ愚痴だな。(笑)


だから歌を聴いている時は本当に幸せだ。離れて較べるから惑うのだ。早く『あなた』を聴きたい。『あなた』そのものを聴きたい。ヒカルが「これで個体だ」「これで全体だ」と思えたその姿が見たい。今回ばかりは、話はそれからだ。待つ事でしか解らない、焦りも拭い不安や偏見も削ぎ落とした状態で歌に向き合えるように、後2ヶ月居るとしますか。