無意識日記々

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『It worked ! 』

さて前回引用した『Liner Voice + Part.6』に於けるヒカルによる『気分じゃないの(Not In The Mood)』についてのセルフライナーノーツ、その前半部分を見ての感想を少しばかり。なお、ちょうど前半が1番の歌詞の解説で、未掲載の後半部分では2番の歌詞の解説が為されている。

まず印象に残ったコメントはこれだ。

『 I knew that I really really wanted to include this song in the album.』

「この曲をアルバムに入れたいと強く思っていました」といった意味になるだろうか。文脈からして、この“強い願い”は、歌詞の出来上がる前の時点で既に持っていたものだろう。言い換えれば、それだけ強く願っていたから、2021年12月28日というギリッギリのタイミングまで歌詞を書こうと粘りに粘ってアルバムに捻じ込んだということだ。

サウンドもメロディも展開も構成も素晴らしい楽曲だが、しかし、やはりこの曲でまず最初に耳にとまるのは歌詞の部分だった。私も真っ先に「今までの宇多田ヒカルの書いた歌詞でいちばん好きかもしれない」と書いた覚えがあるが、それが曲の出来る最後の最後のタイミングに生まれたというのが、なんだろうかな、ちょっと信じられない。奇蹟だよね掛け値無しの。

最初に(1月19日の未明に)聴いた時はまだこの歌詞が実話かどうかわからなかった。私にとって、この歌詞が現実に基づくかどうかは然程問題ではない。大事なのは、それをヒカルが、ヒカルの目線で実際に見たということだ。見たものであれば、例えばそれが想像や空想、妄想、夢であっても構わない。

更にヒカルはこんな風に語っている。これ、とてもお気に入りです私。

『Not really as a character but more just as a gaze, my gaze is only thing really throughout for the most of song.』

「(曲の中の登場人物になるというよりは、ただそこに私の目線があるだけ。この曲は終始私の目線で(見えたものについて)書かれている」といった意味になるか。その前段では

『being in the song』

とも言っている(はず。私の聴き取りなんてアテにならない。)。『気分じゃないの(Not In The Mood)』の歌の歌詞には宇多田ヒカルが本人として登場してはいるが、だからといって自分自身のことは歌わない。それ以外の、目に入ったものについて語って(歌って)いる。

これがなぜ私の琴線に強く強く触れたかというと、多分こんな日記を書いているからなんだろうなと自分で聴き取ったこのコメントを読みながら思った。ここは私の日記だけど私についての話は殆ど書かない。宇多田ヒカルの話ばっかりである。だけど、この日記をずっと読んでいると、私がどんな人か、長年の読者なら何となく想像がつくんじゃないか。ある意味、顔も知らないけれど、どういう人かは伝わっているというか。

この歌には、そういう、無意識日記めいたところがある。宇多田ヒカルが歌っていながら宇多田ヒカルのことについてはまるで語らない。その日見た出来事をそのまま綴っただけの日記のような歌詞。しかし、その事によって、いつになく宇多田ヒカルがどういう人なのか、どういう風に物事を感じ取っている人なのかが伝わってくる。

指相撲をする人たちについて何か感想があるわけでもない。しまい忘れたクリスマスツリーについて感傷的になっている訳でもない。ただそうだったと書き留めた、歌い留めただけ。なのに伝わる、いや、だからこそ伝わる、ということか。

『... It worked !』

「うまくいった!」──ヒカルが「目に入ったものについてそのままを歌詞にするという手法を試してみたら」いい歌になったという実感が、この2語には表れている。機能した─歯車が回り始めた、みたいなイメージかな。あるべきところにあるべきものがハマって、噛み合って物事が回り始めるような。ここに辿り着けたのも、ヒカルが、歌詞を完成させる前からこの歌の力を信じてギリッギリまで粘ってくれたからだ。そのことにいちばん感謝しているのは、きっとこの歌自身なんだと思うよ私は。