あぁ、宇多田書店復活か。『点』『線』の時以来だから9年ぶりだが、うち6年はアーティスト活動休止期間だったので3営業年ぶりくらいになるな。そんな単位知らないけど。
実店舗がどうやって生き残っていくのかという課題はず〜っとあるので今更だが、こうやって本屋さんに足を運ぶキッカケを与えられる存在だと思って貰えてるのは有り難い。
なんて言ってるi_さんは完全に電子書籍派である。もし同じ値段なら紙の本より電子書籍を選びたい。ただひとつ引っ掛かるのは、ファイルをダウンロード出来る訳ではない、という点だ。音楽配信は、Appleが潰れようがmoraが路頭に迷おうが、自分とこのストレージに保存しときゃいつまでも楽しめるので「買って手に入れた」感がまだあるが、電子書籍は発売元が潰れたら読めなくなってしまう。Amazonが潰れるより流石に私の寿命の方が先だろう、なんて高を括っていられるやらどうなのやら。例えば、この国がまたとちくるってどこか欧米の国と戦争を始めたらまた外来語禁止とか無理のある話が飛び出してきたりするだろう。バカバカしい、と思う事なかれ。自分の知能を省みればよくわかるが、この国にそんな高い期待など持てない。
紙の本ならいつまでも持っていられる。出版社が潰れようが書店が潰れようが関係ない。『宇多田ヒカルの言葉』も電子書籍で欲しいんですけど無理ですかね。
さて。この『宇多田ヒカルの言葉』というタイトルである。まず、あのカバーアルバム『宇多田ヒカルのうた』を連想した。カバーアルバムというだけあって、宇多田ヒカルの歌を宇多田ヒカルでない人がどう捉えているか、という処が出発点としてある企画だった。しからば、この『宇多田ヒカルの言葉』というタイトルの付け方は、宇多田の歌詞を宇多田ヒカルでない人がどう捉えているか、という視点で作られ始めたのではないかという推測が生まれる。実際、既に8人の寄稿が発表されている。楽しみである。
この、『宇多田ヒカルの○○』がシリーズ化されたら面白い。『宇多田ヒカルの顔』と称してヒカルの表情を捉えた写真ばかりを集めた写真集を出してもいいし、『宇多田ヒカルの声』と名付けてテレビやラジオから流れてきたヒカルの言った話を編纂してもいい。『宇多田ヒカルの友達』として色んな人にヒカルについて訊くインタビューとか…幾つか考えつくわね。『宇多田ヒカルとテレビゲーム』みたいな変則的なのもアリか。半分以上テトリスの話になりそうだけれど。
しかし、ちょっと不思議なのは、なぜこのタイミングだったのかという事だ。『宇多田ヒカルのうた』は、ヒカルが不在の時期に輝いた。ならば『宇多田ヒカルの言葉』のような書籍も、ヒカルの不在時に出した方がより有り難がられるのではないか、とちょっと意地悪な事も考えたのだ。すいません。
理由はわからないが、もうきっと製本も終わり、各地への出荷を待っている頃合だろう。歌詞集なんていう試みが「これはアリだ」と認知されれば成功だ。あと10日程で発売になります。