無意識日記々

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最後に絞り出した言葉の芸の無さ

チケットの話を出したけれども、果たして今度はどれ位の倍率になるかわからない。12年前は別に完全ソールドアウトというニュースもきかなかったので、公演によっては売り切れていなかったのかもしれない。

私個人の価値観からすれば「そちらの方が望ましい」。売り切れとは「観たくても観れなかった人が居る」という事であって、望ましいとは思えない。ヒカルの歌を生で聴きたいと言ってるうちに人生が終わっては死んでも死にきれまい。私の知らないところでそうやって死んでいった例もあるかもわからない。7年前の『WILD LIFE』でペプシクリスマスの白Hikkiのコスプレをしてた人は来年のツアーに間に合わず力尽きた。日々人は死んでいる。「人は死ぬぞ」もまたモンキー・D・ルフィの名言のひとつだが、せっかく生き残っているのにチケットが買えなくて観れませんでしたではやるせない。

とはいえ、世の中には様々な価値観がある。完全ソールドアウト公演、倍率10倍20倍のコンサートを観たとなれば人に自慢できる。よく当たったね、どんな感じだったのと人々から注目を浴びる。人気の公演への参加は羨望の的であり、人の優越感を殊更満たしてくれる。そうやってチケットの価値を上げよう、というのは売る方買う方双方の認識の上に成り立っている。

世界は見渡せぬ程広い。色んな人が色んな事をする。ではヒカルはどうしたいか、だ。コンサートツアーはジレンマの塊だ。あちらを立てればこちらが立たずの連続である。作詞作曲ならヒカルはジレンマを「私には手が2つある」から「両方立たせる」と言って実際に立たせてしまえるが、ツアーのようなビッグ・プロジェクトでそれが出来るだろうか。

レアチケットならレアチケットでいい。今「MTV Unplugged 2」をやろうものなら倍率は凄まじいだろう。そういう企画をやるなと言っている訳ではなく、抽選制の価値はそれで尊重するとして、では何を考えるのかだ。沢山の人に来て貰おうとドームツアーを執り行えば音質は犠牲にせざるを得まい。だからといってホールツアーに限定すると一体何公演こなさないといけないかわからない。どこらへんを落としどころとするか。ヒカルのスタミナ、季節天候気温湿度、移動距離、公演間隔…幾らでもファクターはある。何とかうまくやってほしいです。