無意識日記々

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Black Music Lovers matter.

Black Lives Matterで特にアメリカでの黒人差別が話題に登る機会が特段に増えたが、普段ポピュラー・ミュージックを聴いているリスナーとしては違和感しかない。というのも、アメリカのチャートのメインストリームは少なくとも過去30年ずっとヒップホップ・カルチャーが占めてきているからだ。

アメリカの大衆音楽における黒人音楽の影響力は絶大である。白人がロック・ミュージックを隆盛させたのも、黒人のジャズ&ブルーズへの憧憬と白人ならではのアイデンティティ確立の葛藤故に、だ。

特に今70代前後のロック・ミュージシャンにそれは顕著で、エリック・クラプトンなどは初期にCREAMで白人のハード・ロックサウンドの礎を築いておきながら後に早々に黒人音楽であるブルーズ・ミュージックに傾倒しそれ以来ずっと黒人礼賛だ。後に同じようにハード・ロックからブルーズに回帰したゲイリー・ムーアが元CREAMの二人とロックバンドを結成したのも象徴的だったがそれは余談だった。BBMの“Where in the world ”はとてもいい曲。

エリック・クラプトンといえば後発の白人ロック・ミュージシャンたちからすれば神のような存在だが、その彼が黒人音楽に跪いているのだ。そういう風景を見ながら育ってきたリスナーにとって黒人ミュージシャンたちというのは圧倒的に尊敬の対象でしかなく、マイルス・デイビスとかジョン・コルトレーンなんて神様どころか大界王神様か全王様かという(以下略

その黒人たちがあからさまな差別を受けていると言われても、なんだろうな、別世界のように感じるのが海を隔てた遠い国で音楽を聴いている者の実感なのだった。

宇多田ヒカルはどうやら6歳の頃にはニューヨークに居たらしい。"Utada Hiraku/ウタダヒラク"とスペルを間違えて名前を書かれて『私、開かない!』と憤っていた頃だ。となると1980年代末期。ニューヨークのシーンも黒人たちが席巻し始めている時分で、その頃から両親に付き添ってミュージック・スタジオに通っていたなら当然黒人ミュージシャンたちとも出会っている訳で。ラジオやMTVをつければどんどん黒人音楽が流れてくる。そんな環境で育ったのだから、彼らが迫害されてきた歴史に対して思うところがあるのは当然なのだろう。

大衆音楽として輸入されてくる洋楽の黒人音楽の影響力からみても、ヒカルのように現地で実際に彼らと交流していた人間からみても、彼らに対する迫害の……というか大体虐殺の歴史に対しての憤慨と無力感は拭えない。それを感じさせて貰えて来れたのは、彼らが作った音楽が素晴らしく、こうやって海と時を超えて今でも世界中に遍く響いているからだ。まだこれから何十世代もかかるかもしれないが、黒人差別が消えていく過程で音楽の果たしてきた、これから果たす役割は決して小さくない。我々はただ彼等の奏でる音に耳を傾けるだけでもいい。そこからたまに生まれる愛着が、彼等の地位を本来在るべき場所に到ら使める。道程は果てしないが、きっと王道なんだと、思うよ。