無意識日記々

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宇多田ヒカルさんは怖いのです。

さて、目下の最新曲『誓い』の話に戻ろう。歌詞がゲームの中でどのような効果を発揮するか、いかなる存在感を示すか、という話は実際にプレイした皆さんからの評判が上がってくるのを待つとして。いつになるやらだが。

こちらではシンプルに「宇多田ヒカルの新曲」として歌詞をみてみよう。

『あなた』の歌詞の何が秀逸だったかって、映画のエンドロールにピタリと収まった事だ。本編の余韻を引き摺る1番の間の歌詞は本編に準ずる内容で、そこからスタッフロールが続き観客が少し冷静になった頃合を見計らったように2番の歌詞が歌われる。それはまるで、映画に没頭していた観客をそのまま自然な流れで「宇多田ヒカルの世界」に引き込んだかのような手腕の巧みさを感じさせた。

これは、誰が考えた事なのか。恐らく、主題歌を受け取った監督が尺に合わせてエンディングロールを組んだのではないかと思うが、それにしたって見事だ。ヒカルの方もある程度、歌がエンディングに流れる事を想像しながら歌詞の構成を考えたのではないか。

という卑近な前例を踏まえると、ひとつの疑問が浮かぶ。果たして、今公開されているワンコーラスは『誓い』の何番の歌詞なのかという点だ。1番なのか2番なのか3番なのか。いやピアノのイントロから続いているんだから1番に決まっているじゃないかという意見、恐らく正しい。多分、本当にそれ以上考える必要はないと思う。しかし、それでもついつい妄想してしまうのだ。この曲が編集されていて、イントロと2番を無理矢理繋げてあるのではないか、或いは、そもそもこれが楽曲の真ん中のパートなのではないか、などなど、と。

最後の視点は妄想がより膨らむ。実際は『誓い』はもっとアップテンポで、中間部に差し掛かるとテンポダウンしてバラードのような曲調に変化する、なんていう曲展開を持っていたりしたら、と。勿論さっき言ったように考え過ぎなのだが、宇多田ヒカルさんはこういう所本当に怖いのだ。『真夏の通り雨』というタイトルが発表された時、誰が直前の歌詞に『降り止まぬ』が来ると看破していたか。皆が思う「通り雨」のイメージを利用してタイトルだけを先に発表し期待感を一定の方向に揃えた上でフルコーラスでがつんと頭を殴ってくる。もう一度言おう。宇多田ヒカルさんは本当に怖いのだ。

その知性に対しては「考え過ぎる」位で丁度いい。私としては、でも、『誓い』はストレートな名曲であって欲しいという願望があったりすんだけど、あのリズムを聴くとなかなかそうはなってくれそうもないのだった。取り敢えず、いつものように、「全貌を知らないからこそ言える」事を綴っていきますよ。