無意識日記々

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なりくんがSpotifyオフィスでLIVE

土曜日にはなりくんのショウケースをストリーミングで観てましたよ。『Lonely One』の音源で聴いて抱いていた印象より生歌の方がよくて吃驚。いや、こっちが勝手に見立てを誤って勝手に驚いてただけで、なりくんは歌っただけなんすけどね。幽かに期待されていたヒカルさんの登場はかなわず、『Lonely One』は録音でした。ライブで録音音源を使うのは未だに違和感があるけれど、今回はフルサイズのショウでもなし、制限が多いので仕方がないでしょう。5月のデビューライブはそうはいかないので、どうしてくるのやらですけれど。

歌唱のよさと共に、楽曲や歌詞も案外よくて、特に一曲目の「Game」はキャッチーとも言える曲で、これを一曲目に持ってきてるだなんて結構冷静だなと思いました。しかし気になったのは格好。恐らく、インタビューにあるように、まだ自身に対する音楽制作が内面的な模索の方に意識がいっていて「見せるショウ」や「魅せるショウ」といった意図や意義をライブに見いだしていないのでしょう。デビュー前のアーティストなので段階的には全然大丈夫なんですけれども、相変わらず気になるのは彼の表現の数々のイメージ上の食い違いが生むミスマッチです。

彼のルックス、彼のファッション、彼のトーク、彼の歌声、彼のメロディー彼の歌詞。まだそれら全体が統一の像「小袋成彬」を形成できていないのです。それどころか、うちのひとつに接した後に他のひとつをチェックした途端に落胆を与えるような落差なのです。昔のデビューしたてのミュージシャンならそれでもよかったのですが今はインターネット時代。ライブストリーミングをしようものならたちどころに拡散可能です。幸い、今回の視聴者数は一万件程度で済んでいるようで、このスケールなら悪い方には転がらないでしょう。しかし、これから宇多田ヒカルプロデュースのアーティストとしてより注目されていく中ではどうなるかわからりません。事を急ぎ過ぎるのは芳しくありませんが、パーソナリティとしてのペルソナとシンガーソングライターとしてのペルソナとライブパフォーマーとしてのペルソナの統合についても、ヒカルのプロデュースを仰いだ方がよさそうです。ヒカルからしたら、「いつか来た道」ですからね。きっとよりよいアドバイスが聴ける事でしょう。