おっと、少し焦り過ぎたか。過去の曲と比較して今の歌を語るのは思い出を共有する者達の特権。しかし、歌は何と較べる事もなく、ただ真正面から相対するだけで魅力を感じられなくては─もったいない。過去との対話だけで歌が作られるようになったら、既存のファンを大いに喜ばせる事は出来ても新しく魅了される者は増えない。
ではヒカルの新曲はヒカルの過去の超絶な業績や図抜けた名声、そしてそのプロフィールを熟知していないと魅力を感じられないような歌なのだろうか? 否! そんなわけあるか。優れた歌は「ワタシニホンゴワカラナイカラナニウタッテルノカサッパリワカラナイケレド、ナンダカココロガウゴカサレルワ。」と言わせるに足る歌でなくては。その上で、過去を共有し未来を共有しようとする者に更なる喜びや気づきを与えられる詞も響いてこその名曲である。故に皆が魅了され得る。それが出来ない宇多田ヒカルではない。
『Play A Love Song』は、まずはCMでも披露されている『長い冬が終わる瞬間』から『Can We Play A Love Song ?』までのメロディーが齎す清澄な高揚感がいちばんの魅力だろう。力強いキックに押し出されながら歌われるメロディーはリズミックかつキュートであり、ヒカルの歌声は柔らかさと透明感を兼ね備えつつ芯の強さを失わない、非常にバランス感覚に長けたものだ。その根底にある力強さを誇示ではなく包容力と広い視野に向けているから、終盤のゴスペル風コーラスも大仰にならず、説得力をもって響いてくる。親密ささえ感じさせる歌声の中にこれだけ多人数の歌声を重ねてくれば違和感や乖離感が出てきそうなものだが、メロディー自体のもつ広い視野の中に収まっているからこそ、暖かな自由を満喫した聖歌隊が踊れるのだ。いうなれば、土を踏みしめながら天上の煌めきを全身に浴びているような、澄んだ高揚感と充実を感じさせる。勿論ハイレゾを意識したタップリと広めにとった音場の作りが大きい(特に今回は、サウンド作りが今までになく「高音
質でリリースする」ことを意識しているように聞こえる。ハイレゾがついでじゃなくてメインになったのではないか)のだけれど、何よりもヒカルの声の出し方に無理がなく、はしゃがず、踏みしめるような地に足のついた感覚を大事にしている事の影響がより大きいように思われる。早い話が、声自体の響きが既に美しいのだ。
広い音場を形成する為に、思い切ったベースレスアレンジを選んだ事も大きい。一部でほんわりとした低音が響いてはいるものの、低音部は基本的にバスドラのキックに頼る潔さ。これが楽曲の重心を一気に下げて落ち着いた所に例のリズムピアノがパーカッシブに叩かれて楽曲の骨格の基礎が出来上がっている。いわば、殆ど骨組みだけだから風通しがよいのだ。
しかし…っとと、ついつい熱くなってもた。今回はここまでにしておくが、本当にいい曲だね。気に入ってるよ。