無意識日記々

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『初恋』の歌詞構成3

2度目のサビは1度目を聴いた前提で描かれる。

『柄にもなく竦む足が今』に対して『勝手に走り出す足が今』。場面が動いている&登場人物も動いているのがわかる対比だ。前述の通り、この歌は感情の動きを言葉で描く前に、物理的肉体的な動きそのものを先に表現する。聴き手の中でヴィジョンを伴って歌が入ってくる為印象はより鮮烈だ。『足』の動きの違い。竦むのは怯えや戸惑いがあるからだろうし、勝手に走り出すのは思いがとめどなく溢れてきたからだろうが、この歌では「怖くて足が竦む」とか「思いが溢れて足が動き出す」とは歌わない。ただひたすら物理的な描写に徹する。『柄にもなく』はそんな中で興味を惹く一節だがその話はまたいずれ。

そして『涙』だ。今は基本的にこの歌の構成の話をしている。そうしたくなった最初のきっかけがこの『涙』。

1度目は『静かに頬を伝う涙』。この『静かに』がポイントだ。涙が頬を伝うのを待ち構えていた訳ではない。自らの感情の高ぶりを感じとって「さぁ泣くぞ」と構えたのではない。"気がついたらいつの間にか"涙が溢れて頬を伝っていたのだ。自分の感情に気がつく前にいつのまにか流れていた涙の存在に気づく、そのプロセスを教えてくれるのがこの『静かに』の一言だ。勿論前節の『うるさいほどに高鳴る胸』との対比として描かれているのは間違いない。

そして2度目は『確かに頬を伝う涙が』と、1度目の『静かに』が『確かに』に変わっている。これは文字通り"確認"のプロセスだ。「あぁ、今自分は確かに涙を流しているんだな」と確かめているこの場面。この歌は全体の構成として、「唐突なクライマックスの描写」→「一般論」→「特殊論」からあらためて「満を持してクライマックスの描写」という風に作られている。メタな聴き手の視点としても、もう一度涙が頬を伝う事を確かめるこの場面。当初の唐突さは薄れ、AメロとBメロを噛み締めた事で至る必然の涙。徹底した物理的描写のみでここまで持ってくる。圧倒的な構成力だ。勿論、更にここから凄くなるがね。