無意識日記々

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『初恋』の歌詞構成4

1度目のAメロと同様に、2度目のBメロも"一般論"から入ってゆく。

『どうしようもないことを人のせいにしては受け入れるフリをしていたんだずっと』

やや唐突ではあるが、この一節もまた、1度目のAメロの『人間なら誰しも当たり前に恋をする』同様、「そうだよねぇ」とか「あるある」とか浅く広く共感を得る内容である。「仕方無かったんだ、って自分に言い聞かせて納得しようとしたりって、あるよねぇ」と思って貰えれば正解だ。

サビの視覚に訴えかける描写とは対比的に、ここには具体的な対象が何もない。ただ言葉があるだけだ。いうなれば概念のみ。そこからBメロに再び『あなた』が登場する。具体的な対象がこの歌の主人公の居る世界に現れるのである。

ここに余談を差し挟んでおいた方がいいかな。一般論で語り合っている間は話し手は守られている。よくいう「主語がデカい」ってヤツだ。こういう言葉の使い方をしている間は自分自身を批判的に見つめる必要はどこからも生まれない。そうやって毎日を暮らしているものだよねとこの2度目のAメロは問い掛ける。

その、なんとなくごまかしながら毎日を暮らしていく事を指してBメロでは『ただ生きていた』と表現するのだ。その、いわばぬるま湯状態を『あなた』がぶち壊してこの『私』を世界という舞台に立たせる。逃げ場を、言い訳できる大きな主語を失うのだ。その結果の心細さ、剥き出しに世界に曝された心のありようを、高鳴る胸や竦む足に教えられるのである。

この歌のもつ全体の構造を、このAメロ、Bメロ、サビの構成の中に見いだすのが観賞の主眼となる。Aメロで浅く広く語り合って、Bメロで『あなた』が登場して、サビで『私』が『あなた』と向き合おうとする。確かにそれは世界への認識の変革、即ち『私』の世界の変革であり、そこに踏み込んだ以上後戻りはできないのである。確かにこれこそが、恋なのだ。

その事を表現したのが、『言葉一つで傷つくような』から始まる3度目のサビである。ここまで僅か2分で如何にめまぐるしく視点が移り変わっていくか、おわかりうただけるだろうか。これをサラリと聴かせてツルリと飲み込ませてしまう編曲と歌唱の威力。それを拝見にして歌詞の構成が成されている点も見逃してはならない。

さて、世界に対して剥き出しになった心を指して『ヤワな私』と表現したのち、『二度と訪れない季節が終わりを告げようとしていた』という、この歌の中間地点、転回点ともいえる場所に辿り着く。次回はこれ以降の構成の話になるだろうかな。