無意識日記々

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五年な

気ぃ遣て今朝は触れへんだのにな。自分から言わはった。

当時も書いたが私は父方の祖母が五年前の8月20日に亡くなっているので、圭子さんの訃報は喪服を着て葬儀場で知った。日付が2日先なので、忘れようがないのだ。なお祖母は誕生日も7月2日で、圭子さんより3日早いだけ。歳は四十近く離れていたけれども。なので、こちらも私は忘れようがない。さおりんの誕生日もここら辺なので纏めて祝ってる感じ。ダヌパの誕生日も近い筈だが、まぁこれは公表されてないからいいやね。

その昔誕生日に祖母に電話したら「この歳になっても誕生日祝ってくれんのはあんたくらいや」と笑われた。喜んでくれていたようで何よりだった。2人とも立て板に水のごとくよく喋るので、お茶を挟んだら延々何時間もお喋りしていた。それが幼稚園児の頃から大人になってもずっと続いていた。おばあちゃん子だったのかな、というより、人としてうまが合っていたのだろうか。母方の祖母は震災を境に認知症を患い、ずっと同じ話を何十回と繰り返すようになっていたが、1度その話を何時間も聞いていたことがある。特に苦痛ではなかったのは、そもそも認知症というものに興味があったというのと、なんだかんだでお喋りしてるおばあちゃんが楽しそうだったからだろうか。…やっぱり根本的におばあちゃん子なのかしれないわ、私は。

ダヌパのおばあちゃんのうちの1人が、五年前に亡くなっている。父方の方は、知らない。今時親ですら血の繋がりが幸せに直結しないとわかっているのにおばあちゃんが居る居ないの話をするのは不粋極まりないのだけれど、でも、2人ともとも仲良くさせてうただいた身としては、おばあちゃんが居てよかったなぁと思う。父方の方は100歳まで生きたし、母方の方も83歳が享年だ。お蔭様で、楽しい時を沢山過ごせた。


なので、圭子さんの命日の頃に考えるのは、本当に、なんだろう、くらべないことである。それはそれだし、これはこれ。そっちはそっちで、こっちはこっち。でも、それぞれ、知っている。こう世界は在るのだと、知って、居る。それに対してどうこうするつもりもない。なるほど、だからかな、『五年かぁ』の一言より先って、本当に何も言葉が浮かばなかったのかもしれないな。