無意識日記々

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草臥れ気味の花束を供えて

お盆明けのこの季節は私には本来墓参りの時期でねぇ。母方の祖父や父方の祖母をこの時期に亡くしているので。そんな気分を持ちながら最近毎年明後日の藤圭子さんの命日を迎えている訳なのですが。

彼女が亡くなったのは7年前。年忌法要の数え方というのは間違えやすくて、一周忌は没年の一年後なのだけど、三回忌は没年の二年後で、七回忌は没年の六年後だ数え年で数えるらしい。紛らわしい。もし仮に七回忌法要を執り行ったとしたら昨年の事になるのだろうな。それは身内の話だしそっとしておこう。

一方で、無責任な音楽鑑賞者の立場からみたときに、宇多田ヒカルの作品に対する影響力の甚大さは無視出来る筈もなく。特に傑作『Fantome』は真正面からそのテーマに取り組んだ曲が多く、とても素通りできるようなものではない。

特に復帰第一作となった『花束を君に』は、朝の連続テレビ小説という国民的関心度の高い枠で、父親を喪ってから始まる物語の主題歌として採用され、更にこれまた国民的関心度の高い歌番組紅白歌合戦宇多田ヒカル自身の初出場と共に歌われた曲でもあるので、様々な側面からここ数年のヒカルを象徴する歌になっている。

発表時期からやや春の歌の印象もあるかもしれないが、歌詞自体は季節を問わないし、花束も、祝福の印として機能する一方手向けの花としても捉える事も出来る。言い方は直接的になるが、ヒカル自身が『日曜の朝』で歌った『お祝いだ お葬式だ』という世の中の風景をひとつの歌で描いているともいえる。

あんまり関係ないけど、手向けはハナムケとも呼ばれ、漢字を当てるなら餞別の餞か或いは鼻向けと書くようだ。馬の鼻を向けて旅の安全を祈願したのが起源らしいが、それを初めてきいた時「そこは花向けとちゃうんかい……」とややがっかりした事はここに素直に告白しておこう。ホントに関係ないな。

この暑い最中では花束もやや草臥れ気味かもしれないが、故人への想いや故人との思い出に花を添える意味でも、墓前に静かに花を供えてお線香のひとつでもあげられたらな……とは思うものの、今年は帰省しなかったので、実家の親に代理を頼んでおきましたとさ。あら完全に私の個人的な話だわ。いや日記だからそれでいいのか。麻痺してるわ色々と。