無意識日記々

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毎年1月22日は「カレーの日」だそうで。

今朝の【今日は何の日宇多田ヒカル】では5年前のこんなツイートを取り上げている。

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ちょっと遅くなっちゃったけど、誕生日を祝うメッセージ送ってくれたみんなありがとう(^0^)「人生ってけっこう長ぇな…」と思った32才の誕生日でした。バースデーケーキならぬバースデーインドカレー食ったどーーー!

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32歳の誕生日はインドカレーを食べた、と。

今これを読み返すと即座に『パクチーの唄』のあの一節を思い出すよね。

『今日はお日様の誕生日かも

 カレーを作って「おめでとう」』

ヒカルの歌詞では時々あからさまにルーツが推測されるケースがある。『Celebrate』がまさにそれで、『不思議ね 触れていないのに感じる』はくまちゃんに触れてないのに感じるメッセの言葉そのまんまだし、『ドンペリ開けて肺までコールドに染まったら』の一節は丁度『Celebrate』の作詞をしている時期に誕生日祝いにアジエンスさんからドンペリをぶっさした大きな花カゴが届いていたのがルーツだろう。アジエンスのボトルは金色なのだ。時々ほんまにそのまんまなのよね。

だから、この『パクチーの唄』の一節もこの時のツイートで書かれている通り実際に誕生日にカレーを食べたから生まれたのだと思われる。単純っちゃ単純だが中々に味わい深い。

深いついでに一つだけ深掘りしてみておく。ヒカルの歌詞で太陽が出てきたらそれは多くの場合お母さんの比喩である。故にこの『お日様の誕生日』もまた、母・藤圭子さんの誕生日を指していると推測することも出来よう。2015年といえば彼女が亡くなってから1年以上が経過しているが、もしかしたらヒカルは、小さい頃圭子さんの誕生日を祝う時にケーキじゃなくてカレーを食べた事があったのかもしれない。或いは、もしかしたらそれが毎年の恒例だったのかもしれない。そんな記憶を思い出しながら、じゃあ今度は自分の誕生日の時にカレーを食べてみるかと思い立ってインドカレーをチョイスしたのだとしたら、『パクチーの唄』に込められたお母さんへの思いの深さが感じられて、より味わい深いかなぁ、と。なおヒカルは、藤圭子さんが32歳になる年に生まれている。32歳の誕生日を迎えて、「嗚呼、私もお母さんが私を生んだ歳になったんだな」と思いながら「人生ってけっこう長ぇな…」と呟きつつ彼女の好物だったカレーを食べていた─5年前のツイートと2年前の歌を組み合わせる事で見えてくるものもあるんじゃないかなと1人で勝手に合点してましたとさ。

なお、圭子さんがカレーが好物だったかどうかは私は知らないです。でも検索してみると前の旦那の前川清と一緒にカレー食ってる話が出てきたので、少なくとも嫌いではないんでしょうね。