無意識日記々

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『夕凪』の風景

『夕凪』の歌詞は最初から最後までひたすら「全てに等しく終わりは来る」ことを説く。散骨の場面を除けば最早それだけの歌詞であるとすら言えるかもしれない。なぜそこまで執拗なのか。

シンプルに解釈する。喪った人が特別過ぎるからだ。掛け替えのない、唯一無二の存在。もうどうやっても取り返しがつかない。その過酷な現実を何とか受け容れる為に自分に言い聞かせ続ける。これは何も特別なことなんかじゃない、よくあること、ううん、いつもあること、どこにもあること、みんなにあることなんだと。ありふれた、世界が生まれてからひたすら続いてきた変わらぬ真実なんだと。毎日が過ぎていくのと同じに、人は須く死ぬ。毎日が過ぎていくのを何も特別に思わないように、このことも、何の変哲もない、毎日のことなんだ、と。

そう言い聞けせ続ければ続けるほど、喪った哀しみの深さ大きさが伝わってくる。

『全てが例外なく』。普通歌の歌詞には出てきづらい一節だ。そして、ヒカルの歌詞にこんな強い口調はなかなか出てこない。『Prisoner Of Love』くらいかな、でもあれは自らに対する決意表明だし、今回は世界まるごとに対する言及だ。そして、当たり前過ぎるくらいに当たり前なこの真実を最後まで受け容れられない人物は結局自分自身であり、それを何とか説得しようとしてこの歌は何度も同じ意味のことを繰り返す。ここだけは特別に終わりの来ない世界であったなら、という無茶で淡い希望を、噛んで含めるようにして静かに潰していこうというプロセスだ。目には見えるものの、未だに信じられないーそれが真実。淡い希望はまるで大海に消えていく小さな波の泡(あぶく)のよう。


その中から何を見出していくかが、この『夕凪』の主題である筈だ。掛け替えのない人を弔いながらこの歌は何を指し示していくのだろうか。もう少しばかりみてみようと思う。