無意識日記々

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儚く煌めく傷

冒頭の『鏡のような海に小舟が傷を残す』、前に触れた通り“鏡のような海”とは凪を表す常套句であって静かに波の立たない海を表す。ヒカルが散骨時に本当に凪だったのかもしれないしそうではなかったかもしれないが、歌詞としては、穏やかな心のありようを表現することと、海の広さと大きさを表現することの両方を意図しているのだろう。

『小舟が傷を残す』。この一節の持つ詩情がこの歌の方向性を端的に指し示している。傷。まるで鏡を切るように、静かで平らな海に航路を刻んでゆく姿。散骨に来た人間の小ささと海の大きさの対比。こののちに『波が反っては消える』という歌詞が登場するが、舟の残した傷も同じようにまた静かに、まるで何もなかったかのように消えていくのだろう。

この印象的な冒頭に、余計な解釈を与えておきたいと思う。海が鏡のようだとすると、海に映るのは何か。空である。小舟はまた、海にだけでなく、空にも傷をつけたのだ。

夕凪。凪とは風の話だが、夕とは空の話、太陽の都合である。常に言い続けてきたように、太陽はヒカルにとって母圭子さんの比喩だ。

『海路』でも冒頭に『船が一隻黒い波を打つ』とある。『夕凪』の冒頭が描く風景と酷似している。『海路』では『春の日差しが私を照ら』していた。『夕凪』では夕方で、これから日が沈む。『海路』は父の話で、『夕凪』は、歌詞では何も触れられていないが聴き手の多くは母の話だと解釈するだろう。

恐らくシンプルに、舟や船は人の人生が死に向かって進んでいることの暗喩として機能している。黒い波や傷は、死に抗うことで生きる生命を表し、だからこそ『波が反っては消える』のだ。生まれるや否や死んでいく儚い生命の一瞬の煌めき。それに比してなんと海の、死の大きいことか。

そういった幾つもの内容を『鏡のような海に小舟が傷を残す』の一文で表現している。もうこれだけでひとつの歌として完成していると言いたくなるほどに印象的な出だしを持つ、それが『夕凪』という歌なのだ。