無意識日記々

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往年の名曲群を如何に歌うか

8年ぶりのライブでは、最近2作からの初披露が目玉になるのと同時に、デビュー20周年を迎えて過去の名曲を如何に歌うかというのも焦点になる。

『Fantome』エラの衝撃のひとつに、過去のヒカルの歌唱の聞こえ方が変化してしまった事が挙げられる。同作の丁寧な歌唱を体験した後だと昔のヒカルの歌唱は如何にも雑に聞こえる…リスナーのみならず当のヒカルもそう感じていたらしく、つまり今回のライブで過去の名曲を歌う際に他ならぬヒカル自身が自分の歌唱の“進化”に向き合わねばならない事を自覚している筈なのだ。

これは、新しい楽曲群を歌う以上の難題である。20年の月日はファンの思い入れを醸成するには十分な時間だ。特に今回ライブ初体験の人達にとっては、まずは慣れ親しんだ名曲群をヒカルが生でそのまま歌えるかどうかが重要だ。ライブならではのアレンジを楽しむのは、次回のコンサートからだろう。

その状況で、今の“進化した”歌唱力で過去の名曲を歌ってしまうと「なんか知ってるのと違う」と違和感に基づいた拒否を喰らう可能性がある。昔より遙かに上手く歌っているのに気に入って貰えないという理不尽な結果が待ち受けているかもしれないのだ。

ヒカルが「今の俺の姿を見て貰いたい」という泰然自若なアーティスト風情だったなら悩む必要のない問題だがライブのヒカルは基本的にサービス満点のエンターテイナーであって、出来るだけファンの期待に応えるようなパフォーマンスを心掛けてくる。過去の名曲群に対する思い入れを無碍にするような真似はしてこないだろう。

しかし、アーティストとしては勿論、エンターテイナーとしてもわざとパフォーマンスのクォリティーを下げるという行為が如何に危険なのかはよくよくわかってもいる筈なのだ。従って、過去の名曲とはいえ今のあからさまに高まった歌唱力で歌わざるを得ない。この、ファンの思い入れと自身の進化の表現の両方の折り合いをどうつけるか、そこがポイントになってくる。

それに関しては各曲の具体論に入るしかないので詳細を考えることは出来ないが、1つ言えるのは「ライブコンサートではそもそも歌ってるときのルックスが違う」という点。これは踏まえておきたい。ライブとなると、大画面であれオペラグラス(席がどこかわからん段階では用意しとかんとね)であれ肉眼であれ、「歌うヒカルをこの目で見る」というのは必須である。自分のように目を閉じて聴き入るタイプはライブでは少ない。となると、そもそもイメージと違う空間で歌っているのだから、それをどう利用するかを考えた方がいい。例えば『Automatic』をロングドレスで歌い始めたら目で見ている人の幾らかは“違う歌唱”を無意識に期待するだろう。そういった演出面でのもって行き方も重要になる。本番当日如何なる結果を招くか。十二分に期待をしていますよ。