名曲に対する歌手と聴衆の思い入れの乖離は年月を経れば経るほど深くなっていくものだ。聴衆はいつの時代も変わらぬ魅力を往年の名曲に求め続ける。それに対して求められすぎた歌手の方は名曲を歌い飽く。ひとによっては誇張無しに何千回も同じ歌を同じように歌わされる訳だなら多分途中から本当に拷問なのだが、聴衆の方は何年かに1回とかだから飽きるだなんて程遠い。斯くして乖離は深くなる一方だ。
ヒカルのファンは幸運である。ヒカルは今でも『First Love』を昔と同じように歌ってくれている。今回の『Laughter in the Dark Tour 2018』公演でも、あらゆる過去曲が様々なアレンジを施されて新鮮な魅力を放っている中、『First Love』だけは依然19年前と同じアレンジと同じメロディーで歌われた。「いつの時代も変わらぬ魅力」を飽きずにずっと表現し続けているのだヒカルは。有り難い。
勿論、ライブの絶対数が圧倒的に少ないというのもあるだろう。飽きるようなペースでは歌っていない、という言い方も出来る。それでもヒカルは『First Love』だけはなるべくオリジナルと変えないでいこうと意識してくれているように思えてならない。
しかしそれでも、如何に意識していようと、自然に変わってしまったものはどうしようもない。ヒカルの場合歌声である。特に『Fantome』以降の丁寧でふくよかな発声への変化は古参ファンのかなりが戸惑った。そして、その歌い方は小手先の変化ではなく本質的な、声質自体の変化と言えるものであり、過去には戻らない不可逆的な事象だと認識せざるを得なかった。
従って、公演前までは私も、勿論『First Love』は歌うだろうけれども、15歳の頃の繊細で儚げなトーンではないのだろうな、確かにあの頃の魅力は出せないかもしれないけれど、今は今で、35歳の大人としての歌声で、今しか聴けない『First Love』を聴かせてくれるだろうな、それがライブならではの聴き所となるだろうな、そんな風に思っていた。
しかし、実際に会場で耳にした『First Love』は、そうではなかったのである。確かに、2018年現在のあたたかでふくよかで丁寧な歌声ではあるのは間違いないのだが、同時にしっかりと15歳の頃の繊細で儚げなトーンも伝わってくるのだ。魔法かこれは。まるで15歳のヒカルと35歳のヒカルが同時に声を合わせて一緒に歌っているかのようだった。ヒカルは、昔と歌い方を変えたんじゃない、昔の歌い方に更に今の歌い方を“積み重ねて”いるのだ。そう気がついた時、嗚呼、『First Love』が運んでくるのは20年前の栄光ではなくて、20年間のその総てなのだという結論に至った。何という分厚さだこれは。ヒカルは過去を否定しない。総てを受け容れて今と未来を形作る。その具現がこのスケールのデカい歌声なのだ。これは、ただ歌が上手いだけでは真似できない境地である。15歳という若さで国民全体から、いや世界中から愛される曲を作り放ち実際にずっと愛されてきた総てを込めた歌声。敵う訳がない。この夜の『First Love』も、そういう意味に於いて唯一無二でした。溜息しか出なかったよ。