無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

#裸婦抱く の書き方

そうなのよ、自分も、もし仮にヒカルが『道』から始まってこの20周年を祝うような選曲のコンサート(例えば本編最後を『First Love』と『Automatic』で締めてアンコールに『time will tell』と『Play A Love Song』を持ってくるような、ね)をするのであれば、こんなライブレポートの書き方はしていなかった。1曲目から順番に、それぞれの曲への思い出と思い入れを語り、ヒカルの表情を逐一実況するような感傷的で逐次的な文章を書いていたんだと思う。現実は違った。もう完全に“音楽的な価値”に焦点を当てた書き方になっている。

今回のセットリストのハイライトは明らかにセンターステージから始まる後編だ、。夢のようなステージだった? いやいや、俺の想像力や夢想力ではあんな迫力作れないよ。空想や現実、作り物も自然構造物も総て含めた中でも生身の宇多田ヒカルにしか作り得ない時間を作った。それは間違いないだろう。

『誓い』から始まるそのシークエンスは、私が聴きたい曲順がそのまま実現していた。『真夏の通り雨』から『花束を君に』への流れは2曲発売当初幾度となく絶賛したし、『First Love』から『初恋』の流れはもう「やるしかない」曲順だった。終盤へ盛り上がっていくタイミングの『Forevermore』もドンピシャ。言うことなんて何もありません。

本来の無意識日記のリズムならここから「しかし…」と逆接して何らかの苦言を呈するものなのだが、ない。今回はそれがないのだ。
凄すぎる。おしまい。ザッツ・オール、だ。

語る事がない訳ではなく、“コンサート評”として、もう1度繰り返すが「絶賛以外似合わない」、のだ。これで文句を言うのは本当に難しい。難癖しか残らない。兎に角歌の力が強力で歌唱にも澱みが無かった。細かい事を言えば音程がフラットした場面や歌詞の怪しい場面もなくはなかったろうが、そういうのを気にする評者ではない事は皆さんよく御存知だろう。

だが、──とこの日記本来のリズムがここで漸く遅れて出てくるのだが(笑)──そこで評する目線をぐいっと上げれば、「ショウの完成度」としてはまだまだだったように思う。楽しめなかったのではないし難癖を付けたくなっている訳でもない。信じられない事だが「まだここから更によくなる可能性が沢山ある」のだ。それが心底恐ろしい。ここまでのショウを見せておきながら幾つもの“改善点”が指摘できてゆくのだ。本当にヒカルはどこまで登り詰める気なのか。気が遠くなってきたよ。

従って、この日記は次回から挿話のように苦言を呈する場面が次々と出てくる筈だが、それは私が不満に思った点というよりは、未来への展望が拓けている事への示唆なのだと捉えておいて貰いたい。既に述べたように、“コンサート評”としては“絶賛”の2文字で終了である。ここから感じる未来をどれだけ手許に手繰り寄せられるか、それが自分でも楽しみなのだ。兎も角手始めに、ひとまずライブ全体を振り返っていってみようじゃないのさ。