無意識日記々

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#裸婦抱く の「わからなさ」

セットリストの主張とヒカルの感情がちぐはぐなんじゃないか、その理由は何なのだろう?という話の続き。


まず考えられるのは、前回触れたように、リハーサル時点では自分の感情を“侮っていた”可能性だ。ツアーが始まるまでは普通に新譜のツアーのつもりでいた。それは、ツアータイトルとツアーグッズに表れている。今なら“20th anniversary”を謳っても問題なかったろうし、グッズも20周年記念グッズで固めてたっていいはずだった。それをしていないのは、別の事情もあったかもしれないが、いずれにせよアニヴァーサリーを重視していなかったという点は否定できない。ところがいざステージに上がって観客の顔を観ると…という具合。これは確かに、ヒカルの目下の感情とセットリストに乖離が出来ていても仕方ない。

別の可能性としては「わざと」というのもある。つまり、観客のニーズとして8年ぶりとか20周年とかは存在する一方、自分には音楽家としての“今”があるから、それならMCの方でニーズに応えてセットリストは“今”に忠実にしようという役割分担をした、という具合。狙い通りだとしたら、かなり上手くいってるな。

どちらの可能性ももっともらしい。ヒカルとて一人の人間、読みを間違うこともある。『Goodbye Happiness』のミュージックビデオを発表した時ファンの感想を受け取って「泣かれるとは思わなかった」と言っていた。あんなん泣くに決まってるやんか何とぼけたこと言ってんのと思ったものだ。勿論ただの謙遜だったのかもしれないが、そこまでのリアクションを期待し切れていなかったのもまた確か。幾ら優れた音楽家であっても、Pop Musicianである限り聴衆の反応を実際にみるまでは自信を持ち切れないものなのだ。

それは、こちらにしても同じ…というか才能が無い分、より甚だしい。今回の私のライブレポート(というのかどうか知らんが)、音楽的な面ではそれなりに適切な事を書けると思うが、ヒカルの感情にきちっと寄り添ったものは正直書ける気がしない。今まで書いてきた通り、今回のツアーをどういうつもりで実施したのかがそもそもわからないからだ。なので、その面に関しては全くと言っていいほど書かない。書けない。音楽の話ばかりのちょっとドライで距離のあるものになっていくと思うので御了承の程を。まぁ、それも実際に書いてみないとわからないのですけどね。