無意識日記々

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CDラジカセ世代のサウンドの申し子

「80年代初めはFMの電波を飛ばして車で聴いてみてた。90年代はラジカセ。今はiPhone。」─サウンド作りに関する三宅Pの発言だ。要はどれだけハイクォリティなサウンドでアルバムを仕上げようと、実際に聴かれるシチュエーションで聴いていい響きでなかったら意味がないんだと。

この対比はそのままライフスタイルの中の音楽の立ち位置の変遷を表している。80年代初めまではカーラジオから流れる歌謡曲がヒット曲だった。若い人がどういう認識なのかは知らないが、この頃の日本人は兎に角音楽ソフトを買わなかった。海の向こうでMTVが猛威をふるって何作品もテンミリオンヒットが続出する中、日本年はミリオンセラーが1枚もない歳も珍しくなかったのだ。

そういう頃の流行歌を支えたのがテレビとラジオだった。今面白動画や健康談議が流れている時間帯に流行歌手が生出演して歌う番組が幾つかあった。極端に言えばMステが帯番組でやっているようなものだった。今の流行りを知りたければテレビかラジオをつければ十分だったのだ。 何かを購入する必要はなかったのである。

それが90年代に入りテレビの歌番組が半減する一方でCDという新しいメディアが知られるようになる。アナログレコードやカセットテープに較べて格段に使い勝手が増した事もありこの頃からミリオンヒットが常態化していく。80年代末には松任谷由実がダブルミリオン・200万枚を突破し、DREAMS COME TRUEが300万枚を、globeが400万枚、B'zやGLAYが500万枚を売り上げさぁ次は誰が600万枚を突破するのか!?と注目される中で600万枚を一気に飛び越え750万枚を売ったのが宇多田ヒカルだった訳だ。

つまり、三宅Pからみればヒカルはもともと「CD世代の申し子」なのである。結果的にはこれを頂点としてCDというメディアは緩やかに衰退していく訳だが、三宅Pが「CDラジカセから出るサウンド」に注意を払っていたのは見事に功を奏したのだといえる。700万枚ともなると各家庭に普通にある廉価版のラジカセなどで再生される状況が最も多い訳で、そこで評価されたからこそ芋づる式に評判が伝播して極大ヒットに繋がっていったのだ。勿論、80年代同様FMラジオから聞こえるサウンドにも気を遣っただろう。『Automatic』がブレイクしたのはFMラジオからだったのだから。

こうしてみると、今こうやってアナログやハイレゾサウンドに拘っていることには一抹の寂しさを覚えなくもない。なので特大ヒットを目指してiPhoneでの再生環境に拘ったトークセッションも別口で開催してくれれば、またちょっと面白い事になるかもしれない。そこらへんは次回検討してみるのもいいかもしれないね。