無意識日記々

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「シン・エヴァ」アバン10分公開について

土曜日の晩に「シン・エヴァ」とみられる(庵野さんのことだからまだ何がどうなるかわからないのだ(笑))10分の映像が公開されていた。フランスパリでのジャパンエキスポがメインステージということもあってか冒頭はパリの風景から。どっちが先かはわからないが、まるごと作り直す事も有り得るのでまぁ話半分に観ていた。実際前半は「アバンで総集編」そのもので、本編は幾らでも手直しできるしな。

で観た感想なのだが…旧いなぁ、と。良し悪しの前にそう思った。メカのデザインやらキャラの動きやら絵柄やら…要は演出総てが旧い。序破急はそもそも、旧い90年代の、20世紀のアニメーションを21世紀にアップデートすることで好評を博した訳だけど、今回のアバンはそういう意志が余り見受けられず、庵野さんなりどなたかなりの「自然体で自分たちの世代のアニメを」という開き直った態度が感じられた。故に「素直な良作」という予感はするが、時代を巻き込む力強さは、あるのやらないのやら。

それはそれで正解かもしれない。エヴァにご執心な世代も歳を取った。そんな熱量はもう残っていないかもしれない。ならば彼らに素直に楽しんで貰える、馴染み易い作風で纏めてシリーズを締めるのもひとつの手だろう。そっちの方が大ヒットするかもしれないしね。

今日に到るまで現役でアニメーションに親しんできた層からすると、遺跡探訪的というか、温故知新というか、そういう立ち位置になるかと思う。パリのスクリーンをそのまま中継しただけの画面に何かを言うのは憚られるが、例えば新海誠の「天気の子」の予告編と較べればそこに距離が出来ているのはわかる気がする。「天気の子」は「天気の子」で旧来の新海誠流の脚本という話も出ておりやっちまってるかもしれないが、こと作画に関しては今の時代の(日本メジャーでの)最先端だろう。

もし仮にそんな作風だったとして、ヒカルの主題歌はハマるのだろうか。ここまで来て他の誰かに歌わせるのも酷だと思うのだがヒカルの音楽は20世紀ノスタルジーからは程遠い。最近の課題が新しい世代のファンを増やすことではなく旧来のファンをどう繋ぎ止めるかに重心が移りつつある面すらある中で、余り同時代性を感じさせない「シン・エヴァ」のアバン10分はどのような距離感で接するべきだったのかはちょっとわからなった。『桜流し』から更に先となるとはてさて見通しもわからないのだが、その道なき道を共に歩んでいるのかどうか。ちと不安が先行する発表会でしたとさ。まぁ、気にし過ぎなんだろうかな。