無意識日記々

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25年前の14歳にも今の14歳にも。

前も書いたけど2019年のトレンドは「濃いネタをわかりやすく」だった、らしい。私は乗っかってないんでよく知らないんだけども。「鬼滅の刃」がワンピースをも超える超特大ヒットを記録したのは、恐らく、大正日本を舞台にしたダークファンタジーを物凄くわかりやすくキャッチーに描いたからだろうし、ミルクボーイがM-1グランプリ史上最高得点を叩き出したのは、際どい毒舌を明瞭な滑舌と絶妙な言葉選びでお茶の間仕様に仕上げたからだろう。それが可能になったのは、各分野で表現技術の爛熟が起こり、そのエネルギーが(これも恐らく)たまたまわかりやすさに全振りされた結果かと思う。多分当事者たちはそこまで自覚的ではないだろう。

さてこのトレンドを追い風に出来るのか?と気にかかるのが「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だ。果たしてこのコンテンツは6月に誰にアピールするのだろう? 最初のTVシリーズ放送時に14歳の少年少女だった人達も今やアラフォー世代だ。彼らのノスタルジーを刺激して有終の美を飾るのか、はたまた最後の最後に新しい世代にアピールして伝説となってゆくのか。この作品が若い世代にもわかる作品になっているかどうかは大きい。

「濃いネタ」の金字塔のような作品である。ヒカルは「エヴァは出汁だから古びようがない」と喝破したが、出汁の美味さを伝えるには如何に表面的な味つけを上手くできるか、だ。ヒカルの主題歌も、それが問われる。

どうにも「Q」に関しては、早めに『桜流し』を受け取ってその影響を映画に流し込んだ雰囲気がある。ラストシーンなどはモロだろう。同じく今回も、ヒカルの主題歌を早めに受け取って映画に反映させている可能性がある。ヒカルの作風が若い人にもわかりやすいものならば、シンエヴァもそれに触発されているだろう。余りにも希望的観測過ぎるが。

繰り返しになるが、ターゲットはどこなのか?ということだ。25年前から追いかけて来た人達なのか、たった今初めて映画を観る人か。或いは、その両方? そもそものエヴァンゲリオンは、難解さを売りにしてきた作品だ。謎が謎を呼び、庵野秀明自身が自縄自縛で苦しんでいく過程をリアルなドキュメントとして記録した私小説である。もしその作風を貫くなら昨今のトレンドとは真っ向から対立するだろう。それでよしとしたのか、或いは、またここで新劇版の初心に立ち返り“今の14歳”にアピールする作品にしてきたのか。

宇多田ヒカルは今でも中高生のファンを着実に開拓している。追い風は吹かせられる。向かい風ならばそれはチャンスだ。結局は作品の質の高さが勝負を決める。6月は誰の祭りになるのやら。楽しみなような怖いような。勿論、主題歌には何の心配もしてやしませんがねー。