無意識日記々

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余裕と猶予と油断とyou've done

先週ワンピースの第93巻が発売されてまして。前巻の92巻が中弛みというか前フリ巻だったのを根こそぎ回収していきましたなぁ。今更数ヶ月面白さが停滞したところで連載が打ち切られる筈もなく、堂々と躊躇いなく時間を取ってお話を構成しててお見事。

実績は創作に余裕と遊びを生む。それがまた作品の奥行きに貢献して好循環を生むのだがミュージシャンもそうであって欲しいものだねぇ。スポーツ選手などは複数年契約が成立した途端に成績を落とすケースもあるが例えば投手だと蓄積披露からか活躍が隔年になる人も居てそうおいそれとは判断できなかったり。

庵野監督もシン・ゴジラを当てた時点で様々な余裕が出来たはず。名前も「シン・エヴァ」なんだし影響がない筈がない。大ヒットで得た猶予と余裕がどちらに転んでいるかである。

ヒカルは油断とは無縁だろう。しかし、ここまで実績を積み重ねてきた時点で本来のエヴァの主要なテーマである“14歳の葛藤”から随分離れてしまっているのは否めない。それはエヴァを見続けてきたファンも同様で、序破ではそこに「新しい世紀の14歳の君たちへ」というメッセージが込められていたから新たなファン層も開拓できたのだが、そこで無理をしていたのか何なのかQでは積年の葛藤が復活していた。

共感。ヒカルがエヴァに感じ取ったのはまずはそこだった。シンジと同じように求めてもいなかった重荷を背負わされる人生に甚く共鳴することで『Beautiful World』は生まれた。これは旧い世代の少年だった人たちと共に新しい世代に少年である人たちへのメッセージでもあった。同時に、ヒカル自身が母性的視点を持つ萌芽となった1曲でもあった。後にその点に自覚的になって『Stay Gold』のような歌が生まれ姐さんだのパイセンだのと呼ばれるペルソナが徐々に形成されていくのだが、今回の「シン・エヴァ」に楽曲を提供するに当たってこの『Brautiful World』からどうやって点を描き線を引いていくかが課題となった筈だ。震災後という特殊な状況も背景にした『桜流し』と共に、過去との連携無しに「シンジ・エヴァ」の曲は書けなかっただろう。…っていやまだ何も決まってないからそう言うのは拙速なのだけど。

そこらへんを振り返りながらまた次回、かな。