無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

登場人物と語り手の視点

@utadahikaru : This has made my day

と言ってダンシングな…コッカトゥー…? ほう、ボタンインコというのか、そういう鳥の動画を張っただけのツイートが昨日あったのだが…ヒカル、疲れてるのかな?(笑) ぼちぼちゆっくり休んだってや。

前回の続き。歌の歌詞をどの視点から描くかはポイントのひとつになる。ヒカルにも『キーが高すぎるなら下げてもいいよ 歌は変わらない強さ持ってる』のようなメタ歌詞と呼ばれるセンテンスがある。基本、歌はフィクションであって歌手はその登場人物やナレーター(神の声・世界の声)になりきって歌うものだけどたまに歌ってる本人に立ち戻った立場になることもあったりする訳だ。

エヴァは昔旧劇場版で「映画を鑑賞する観客」をスクリーン側からの視点で映し出した事があったが、そういった本来アニメーションとすれば“アウト”な手法も含めて庵野さんが何をやってくるか、だ。

作品世界と現実世界の間の行き来の他に、作品世界同士の行き来というものもある。同じ漫画家の違う作品同士が実は同じ世界線だった、みたいなヤツね。例えば…って例を挙げてしまうとネタバレになっちゃうのか。難しいや。

他にも、スターシステムといって手塚治虫のヒゲオヤジのように同じキャラクターが1人の“俳優”として異なる作品に出演する、なんて手法もある。これは漫画作品より先にキャラクターが存在して、そのキャラクターの視点から見た時点で既に各漫画世界は並行する虚構なのだという考え方が暗示されている。

歌でも同様の事があるのではないか。平たく言えば、ヒカルが「シン・エヴァ」に楽曲を提供していたとして、その新曲の歌詞世界が『Beautiful World』や『桜流し』と繋がっているのではないか、と。問題はその繋がり具合と程度なのだが、突っ込んだ議論が出来るかどうかが不透明なのでそれについては今後の課題として棚上げしとこうかな。そうこうしてるうちにその曲が発表されちゃいそうだけど、そんときゃそんときで。