無意識日記々

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少年声の親和性…の話の前に一息。

『Da Capo』でのヒカルの歌唱をみていく前に、『Beautiful World』という楽曲自体の偉業ぶりについて振り返っておこう。今回の『One Last Kiss』EPを聴いていてやっぱりオリジナルの『Beautiful World』は凄い曲だったんだなと認識を新たにした。

この曲がリリースされたのは2007年8月のことだが、そこまでの宇多田ヒカル8年半余のキャリアの中で最も「タイアップに寄り添った楽曲」だったのは特筆すべき点だった。キングダムハーツに提供した『光』や『Passion』もゲームファンから絶賛を浴びせられたが(しかも国内外でな)、『Beautiful World』は、この間述べた通り平成No.1のアニメソングだった「残酷な天使のテーゼ」と並ぶエヴァを代表する楽曲となったのだ。

そうなる為にヒカルは『Beautiful World』を「普段ならそうしない程に」タイアップ側に寄せている。「残酷な天使のテーゼ」にしろ「魂のルフラン」にしろ、90年代中盤らしい16ビートの楽曲だが、ヒカルがこの2曲に続くエヴァの主題歌として、こういう所謂「小室サウンド」的なアップビートナンバーを作ってきたのは…いや昔からのTM NETWORKファンからすれば素直に嬉しかったけども(笑)やっぱり驚きだったのだ、ここまで崩してくるのかと。なお所謂「小室進行」と呼ばれるコード進行とは使ってるコードは同じだが並びが違うそうな。3番目と4番目が入れ替わってるとか。そこらへんは詳しい人に任せるわ。

で。例えば『Beautiful World』のサビの歌い出し『もしも願い一つだけ叶うなら』のところのメロディが「残酷な天使のテーゼ」のサビの歌い出し「残酷な天使のように…」と“ほんの少し似ている”のも偶然ではない。ここの寄せ方・似せ方具合がまた絶妙で。例えばコード進行をまるきり同じにしたりメロディをもっと寄せたりしたら「残テをパクっただけやないか!」と猛非難を浴びた事であろう。そんなことは勿論なかった。この“ほんの少し似ている”加減というのは、言われてみれば似ているけれど普通に聴いてるとそれとは気づかない、しかし、その「匂わせぶり」が無意識下で「なんとなくエヴァの主題歌っぽい」と思わせるに足る程度なのだ! この匙加減の絶妙さよ。故にリスナーは『Beautiful World』を聴いていると具体的に「残酷な天使のテーゼ」の事までは思い出さないのに何となくエヴァの主題歌を聴いている気分になれ得た。勿論その要素だけではなく歌詞にしろメロディにしろサウンドにしろあらゆる面から「エヴァとの親和性」を仄めかしつつヒカルは新しい時代のエヴァの主題歌を構築していったのだ。その職人ぶりには頭が下がる思いだった。

孤高の音楽職人で、他のケースならタイアップとなっても歌詞の一節が関連付けられるかな?という程度の距離感でしか歩み寄らなかったヒカルが、ギリギリまでエヴァエヴァのかつての主題歌たちに寄せていった成果が『Beautiful World』であり、その猛烈なリスペクトぶりがあったからこそ庵野総監督はシリーズ全体の終劇曲として、シンエヴァのエンディング・テーマである『One Last Kiss』の更に後に『Beautiful World』のRebuildを所望してきたのだろう。やはりこの曲が聴けてこそ新劇版エヴァなのだと。

『Beautiful World (Da Capo Version)』で新しく聴けるヒカルによる歌唱は、そういった背景を踏まえた上で聴くとより素晴らしく感じられるパフォーマンスに仕上がっている。ホント、ここまでの実績のある人がリスペクトを前面に押し出してくるとここまでのものが出来るのかと。何度も味わいながら見て行きたいと思うのですよ。まぁ、ホントに次回それ書くかわかんないけどね(笑)。