毎日昔のメッセを漁っては人目に晒している訳だけど、あんまりやりすぎるのもどうなの?なんてことを最近思ったり思わなかったり。
内容自体はいつだって問題はない。1999年当時の桁外れの注目度の中でもマイペースに書けていたのだ、物議を醸すことはあっても撤回するような話は書いた事が無い。
一方で、時代は変わっている。現代の文脈に乗せたときにどう読み解かれるか、もっと言えば、どう誤解されるかはかなり予測不能だ。
例えば…。昨日Twitterで若い子達が「テトリスってぷよぷよみたいなやつ!?」みたいな会話をしていた。生まれたときから両方存在してるんだからどっちが先に在ったのかは知るよしもないだろう。なんだか「ビートルズって、ボンジョビ?」に通じる名言な気がする。年寄りは「そういうもんなんだよ」と知るべきだ。
『Message from Hikki』がどこまでそういった未来の事態を考慮に入れていたかはわからない。もしかしたら今「宇多田ヒカル? 倉木麻衣みたいな人?」と思ってる人も居るかもわからない。そういった人が存在するとして『Parody』を聴いたらどう解釈するんだろうというのも興味はあるが、流石に邂逅は難しいだろうかな。
そうね、メッセだけでなく歌の歌詞もそういう問題を孕んでいるかもね。そこらへんのこともまた機会があったら考えたいな。