無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

言葉がササクレばかりの人に言われたくない

アカウントを消すような時って普段と違う心理状態になってると推察される。だって、昨日までは消せたのに消してなかったんだから。積もり積もったものが堰を切った場合でも、唐突な事態に対応しきれなくなった場合でも、何かが変わったからそれまでとは違う行動に出た訳だ。

それも含めて自分自身の選択だから、とまずは言っておく。何がいい選択だったかなんて誰にも予めわからない、とも。でも過去の似た事例から学ぶことは出来るしよりよい選択を選べる人ってのも居るには居る。何も考えないよりは少しはましかもしれない。

SNSでアカウントを消すと、過去の自分のアウトプットもまとめて消去される。大概の場合は。ソーシャル・ネットワーキング・システムと言うくらいで、多くのアウトプットは交流に繋がって会話が成立していく。誰かのアウトプットがごっそり無くなれば、まだアカウントを消していない人たちの発言が宙に浮く。後から読み返してみると意味不明になる。これは一体何の話だったのだろう?と。

これの意味する所は、たとえ本人にその気が全く無くとも、アカウントを消すとそれら総ての交流と会話が“無かったこと”になる、って事だ。前回述べたようにそれが出来るのがWebの利点だが、あなたのやりたかったことは本当にそれなのかなと。捉え方次第だが「貴方たちとの交流は自分の人生から消し去りたいものだった」と思われても仕方ない。それが目的なら構わないけどさ。

例えばそもそもアカウントを消す理由が誰かを傷つけたからとか誰かに傷つけられたからだとかそういった事であるならば、アカウント消去はかなりの悪手であると言いたい。最後に多くの人々を思い切り切り捨てて傷つけて去っていくのだから。何度も言うようだが、それが出来るのが利点なのだからやればいいと私は思うけど、それはあなたの本来の思いに適う事なのか?という点だけは問い質しておきたい。自分の行動の含意が何であるかを知り尽くすのは難しい。だからこそ想像力をはたらかせ先人たちの例から学び、より自らの思いに適う、意図に即した手段を選んで欲しい。

これらのことを承知の上でなら、OKだ。人とのつきあいなんて傷つけ合いなのだからそんなに気にしなくてもと思うのは私が鈍いからかなぁ。言葉がササクレばかりの人に言われたくないってか。ごもっとも…。