無意識日記々

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「なる」と「する」④

ヒカルは、母の、圭子さんの生前から常に連絡を取り合っていた訳ではない。父の照實さんと違い日々の遣り取りの中での関わり合いは余りなかったようだ。特に後年はね。『道』でも『大空で抱きしめて』でも母は星として登場している。どこか、遠くで輝いていて手の届かない感覚が強い。まぁ太陽なんだけども。恒星だね。

なので、極論を言おう。生死はどれくらい関係があるのだろうか、と。確かに、居ないのは悲しいが、それは日常の寂しさではなく、心の象徴が喪われた事が大きかった筈だ。『You are every song.』という一節に込められた思いは、ヒカル自身の母への感情であって、例えばいい歌を書いて彼女に聴いて欲しいと思っていたとか、そういう事ではない筈だ。いや、聴いて欲しくてもそういう機会に期待できなかったというかね。内在する衝動と動機の源泉であって、具体的な行動の目標対象だったり手段だったりはしない。照實さんが明らかに一貫してヒカルの目的を実現する為の手足となって働き続けているのとは対照的だ。正反対と言っていい。

今照實さんが引退すればヒカルは実務的に困る。しかし、圭子さんが亡くなった後、恐らく年単位で精神的支柱の不在に愕然とし続ける日々を送ったのかもしれないが、ヒカルの生活と人生と仕事と趣味のやり方に影響があったかというと、あんまりなかったのではないかなと。生活が激変したのは明らかに息子の懐妊と出産と育児であって、そこの差は大きかったのではないかなと。

この示唆はさり気なく、的が外れているかもしれない。しかし、ヒカルが戻ってこれた事のかなり大きな理由を構成している気がする。これまた極論すれば、やる気さえどうにかなれば復帰はできたのだ。ジョン・ボーナムが死んでるからレッド・ツェッペリンが再結成できないのとは訳が違う。ヒカルはひとりでつくって歌えるのだから。それは以前と何も変わらない。身勝手で残酷なようだが、それが真実だ。

勿論、やる気、動機、モチベーションは“総て”と言ってもいい。それが無ければ何も始まらないのだから。『始まりはあなただった』。『道』で歌われている通りだ。だが、現実はとっくに始まってしまっているのだ。時は流れる。その中でヒカルは、今度こそ自らの意志で「歌おう」と思ったのだ。音楽家であり続けようと"した"のである。そこが今という時期、この3年間の特色なのだ。もっと掘り下げるぞ。