無意識日記々

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「なる」と「する」③

何事にも怒りと無力感を感じて生きてきたヒカルにとって「母の死」とは最も強く無力感を感じさせた出来事だったに相違ない。『You are every song』と歌った相手を喪う事が望ましい事であった筈が無く、事実ヒカルは、その後曲が書けなくなった。

復帰は無理と諦め掛けていた中で、恐らく息子の存在が強烈な後押しとなったのは本人も語るところだが、例えばヒカルにとって母の死が音楽に対する凄まじいインスピレーションを与えたかというと、そんなことはなかった。

確かに、『Fantome』以降のヒカルの歌に母の影は色濃い。だがそれは、あクマでも表面的な話に過ぎない。『You are every song』と歌う『道』はその『Fantome』の1曲目であって、ならばその"every song"とはヒカルが過去に書いてきた曲を指すことになるからだ。故に、今は母の存在が"顕在化"しているに過ぎず、母の死はその事実と向き合い表現を促した点にこそ影響しているのであって、本来的なモチベーションであるところそのものではない。本来的なモチベーションは、ただひたすらに「母の存在」だったのであって、「母の不在」であった訳ではない。そういう風に話を整理して直してみる必要性を感じている。つまり、ぶっきらぼうに言えば、ヒカルにとって母が生きていた事自体が音楽へのモチベーションになるのであって、死んだことはやはりモチベーションに対してはプラスではなかった、という事だ。

当たり前と言えば当たり前なのだが、話を続けるうちにこの点は必ずと言っていいほど混乱していく。私ですら、恐らく、おしまいには「母を亡くしたからこそ今のヒカルの音楽がある」とか言い出す予感がする。違うのだ。生きていた方が絶対よかったんです。極々当たり前の事を今一度確認しなおしつつ次回へと続きますよっと。