無意識日記々

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いやホント何の話なんだよコレw

九合目、か。日本語の使い方の是非は兎も角、照實さんが言いたいのはきっと「90%くらい」という事だろう。そう思おう。

しかし、「九十九里を半ばと思え」というように、制作の最終盤は対数軸で物事を眺めなければならない。作業実現量は確かにあと10%かもしれないが、それにかけなければいけない時間は50%かもしれない。こればっかりはわからない。照實さんが「九合目」を時間的なスケジュールの消化土で言っているのなら、対数から線形軸に戻ろう。あと一割だ。

期待感を醸成していいものか迷う所。リリースのタイミングは完成からどれだけ経とうがレコード会社の計画次第だが、ヒカルの場合その計画を耳にすれば、どうしたってデッドラインから逆算して制作に打ち込んでしまう。凝りたいだけ凝るだろう。締め切りが無いといつ終わればいいかわからない。今まで通りなら。

再三指摘してきたように、アルバム発売がコンサートツアーと連動していた場合是が非でも発売日は動かない。動かせない。動かせる訳がない。その有無で「九合目」の事態は大分違う。天と地ほどに。点と線ほどに、ではないぞ。意味がわからんからな。

不確定要素はやはりダヌパか。例えばツアーの時彼は何十ヶ月位だから保育環境はこれこれこういうのを用意しよう、という風に計画を立てねばならない。が、彼の発育状況が平均的であり続ける保証はどこにもない。大きく計画が狂う事もあり得る。万能な解は、しかし、ありふれたものだ。「おばあちゃんちに預ける」。これが可能ならいつだってヒカルはツアーに出られるだろう。おばあちゃんは国の宝、人類の進化の象徴とも言える存在である。おばあちゃん文化を維持できないようではヒトとは言えない。何の話だ。

実際、ヒカルさん、年齢的にもまだまだ第二子、第三子を生む計画を立てても何らおかしくはない訳で。それによっても今後の制作と興行のスケジュールは左右する。責任感の強い人だから、「すいません、できちゃいました」とはならないだろう。

でも、なんだろう、生んでもらう方の立場としては、無計画に「すいません、できちゃいました」と言ってそれまで積み上げてきたスケジュールを破棄してまで生んで貰った方が、感動的かもしれない。「そこまでして生んでくれたんや」と。周りから無計画だと非難されてもそれでも生む選択をしてくれるだなんて有り難いなぁ、と、私なら思うだろう。「その節はすまんかったな!」と、成人したら言いたいと思う。妄想の話だけど。

なので、ヒカルさんが、そういう突発的な妊娠出産を発表して、例えばツアー全キャンセルだなんて話になったとしても、多分私は悲しまないし落ち込まないしましてやヒカルを責める訳もない。社交辞令一切無しで「頑張って生んでくれ」と言うだろう。「なんだか感動的じゃん、それ。」ってその時言ってるだろうと思うから。


結婚しようが離婚しようがそんなの書類上の話でどうという事はないが、妊娠出産となれば話は全く別だ。人生は大きく変わる。人が1人増えるんだもん。あらためて、凄い仕組みだなぁと。いやそんな話はいいか。昨日藤圭子さんの誕生日をスルーしちゃったからついつい「母、偉大なり。」という話をしたくなったのかもしれない。藤圭子藤圭子であるだけでも凄いのに、宇多田ヒカルを生んで育てちゃったんだから、何だそれもう偉大過ぎて。幾ら数字を積み重ねてもまるで追いついた気がしていないだろうヒカルさん、歌手としての業績プラス母としての業績も偉大なのだから、まだまだ彼女の背中は遠いですよ。これからも追い掛け甲斐のある背中です。これからも頑張りましょう。