無意識日記々

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暗黒の後悔(the rime of the…)

あたしゃ毎度更新お知らせツイートに一文字だけ「晴。」とか「雨。」とかその時点でのお天気を記入しているのだが、面白いもんでいつの間にかその所為で常日頃から空を見上げる癖がついてしまった。ほんの一文字が人の行動を変化させるのだ。

殆ど無意味な「本日のお天気の記入」ですらそうなのだから、灯台随一もとい当代随一の作詞家が真心を込めて書いた百数十字の呟きに心動かされるのも何の不思議もないわけで。いや、でも、もしかしたら侮ってたのかもしれないな。ただのツイートじゃないのさ既存のシステムを利用したファンサービスに過ぎないよ、と。

寧ろ、件の呟きは「新曲が発表された」くらいのテンションで向き合った方がいいのかもしれない。いつもヒカルの新しい曲が発表される時は多かれ少なかれ身構えてしまうし、最早歌詞の意味の奥行きに警戒するのは慣れっこになってしまっている。それを、常にではないにせよ、Tweetにまで適応する段階に来たのかなーと。作詞家として成長した今のヒカルなら、呟く気軽さで昔の作詞並みのStructureを一文に託す事も可能になっているのかもわからない。いやはや、怖いね。

でも、いつもじゃないですよ。そりゃ深く考えてない呟きも発するだろうから深読みのし過ぎも程々にね。

でまた内容に戻ろう。もうほぼ新しい歌詞に相対するような感覚で。

後悔とは、過去のある時点でとれた選択肢について想起することだ。あクマで「とれた選択肢」である。行動として自分にとって可能だったのにその行動を選択しなかった事を悔いる。「あのときああしていれば」というのは、そう、「ああする」のが自分には可能であったという前提が隠されている。

従って、真にネガティブな人間は後悔しない。自分に何か出来たという期待すら持たないのだから。そこまで徹底できるケースも稀ではあるが。

後悔のネガティブな側面は、従って、いつまでも拘る事だ。一度「あの時ああすればよかった」と考察するだけではまだ後悔というよりかは反省であり前向きになれる。それを二度三度と「あの時ああすれば……」と呪い続ける事が後悔を暗くしていく。今他にやるべきことできることがあるでしょう、と。『もう何年前の話だい? 囚われたままだね』ってやつである。

一方で罪悪感というのは……これは話が長くなるな。続きはまた次回から。