無意識日記々

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ライブの雰囲気は観客人数に左右される

自分の場合ライブ会場では舞台上のパフォーマンス以上にオーディエンス、観客、聴衆の方に注意が向いている。やはり、ひとつところに一定の傾向をもった人間たちが集まるのは興味深いもので。コンサート前後は勿論、コンサート中もひとつひとつのパフォーマンスに対してどのようなリアクションが起こっているかをよくよく観ている。そんな人間なので席はいちばん後ろでもよかったりするからもし代わって欲しい人が居たら申し出てくれれば。顔認証でも会場入ってから席交換するのはなんとかセーフのような……アウトかな? それはさておき。

ライブの主役は観客であると言ってもいい。特に、会場の規模&人数というファクターは大きい。舞台上の演じ手、演奏者たちは観客席が何人だろうとベストのパフォーマンスを心掛けるだけかもしれないが、観客は違う。人数によって高揚感が変わる。もっといえばイベントとしての意義が変わる。

全く同じ演目でも会場が変われば印象は変わる。例えばドーム公演は、音楽を楽しみに行く場所ではなく、それくらいの人間を集められるほどに人気があるのですよと周囲に知らしめ、観客達に自覚させる示威行為みたいなものだ。故に観客はそのうちのひとりである事に酔うというか埋没するというか。5万人てひとつの街の人口だからね。スケールが違う。

アリーナ公演は晴れの舞台。音楽もギリギリ聴こえ、姿も小さいが確認できる。コンサートとして成立する限界の人数だろう。

ホール公演はイベントとして音楽を楽しむ王道のサイズ。生楽器・生歌の響きがマイク・スピーカー/PA無しで届く最大の距離だろう。ある程度は正装したり、前後に外食したりとアミューズメントのメインとなりえる催しだ。

ライブハウスとなると親密さが出てくる。各アーティストのこだわりが前面に出る。目の届く範囲でコアなファンが集まるのだから基本は「熱気」だ。やや内輪の集まりでカジュアルで、マニアックなジョークも笑って貰える。

ヒカルさんは、千葉マリンスタジアムをドーム公演規模だというのなら総てのスケールで公演を行っている。だが、だからといって演目に大幅な違いがあるかというとそうでもない。MCにもやや違いがあるかなーと思うのはそれこそ件の千葉マリンくらいで、他はどこでだろうがあのマイペースぶりだ。

ただ、『In The Flesh 2010』に関しては、単純にファンの書いたボードが読める距離だったのもあって、聴衆に対するリアクションが多めだった。本人もそこはご満悦。

なので、変わるとすれば我々の意識の方。特に、ヒカルファンは憧れというより「あの人と仲良くなりたい」とか「私のことをわかってくれるのはあの人だけ」という感情が強いので、近ければ近いほどいい。まぁそれはどのアイドルも同じかもしれないが、ヒカルさん自身は規模の大きさを誇る事より「1万人居てもひとりひとりの顔がちゃんと見えてる」ことを重視する人なので、親密さは双方向での願望だ。

であたしはその様子を最後列で眺めてられれば満足なのだが、それは変か。まぁいいか。

残念ながらヒカルさんがこの先日本国内でライブハウスツアーをやれる可能性は低い。1発限りのスペシャルイベントならあるかもしれないが、抽選確率は相変わらずだろう。でも、なんだろうな、あんま関係ないかもよ。ヒカルはひとりひとりの顔を見てるんだから。今年はコンサートの発表ありますかねー?