無意識日記々

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マナーコントロール

世間の「コンサートのオーディエンス」のイメージってどんななんだろね? といっても、実情は「ジャンルやアーティストによって違い過ぎる」のだけれど。

宇多田ヒカルのオーディエンスは大人しい。『初恋』の静寂で誰も物音一つ立てなかったのは心底驚いた。ほんとにそんなことあるの?って。

『Laughter In The Dark Tour 2018』は完全抽選&顔認証システムでチケット購入だったので、オーディエンスは優先予約で集まったファンクラブ会員の精鋭たちなどでは断じてなく。何の気なしにCDを買って何の気なしにコンサート応募したらたまたま当たっちゃったという人も遠慮なく来れる仕組みだった。のだが、いやまぁコンサートマナーのよいことといったら。勿論、いちばん大きかったのはスマホ撮影の解禁でこれがマナー違反にカウントされなかった事でバットマナーに値する行為対象が極端に減ったってのがね。ルールは作っとくもんだね。あ、「禁じる」だけでなく「許す」もルールだからねー。

やっぱりアーティストの体質ってのは大きい。如何に色々やんちゃしてようがヒカル自身は真面目な優等生としての側面が強い。学校で勉強楽しいとか言っちゃう方だからね。一方で、模範生ではなかった。いやまぁインターナショナルスクールやアメリカンスクールに模範なんてものがあったのかは知らないが、「学校側が要求する理想像にアジャストする」タイプではなかったようだわね。反体制というのとも違う、やっぱアウトサイダーかな。

なので、オーディエンスの統制を取ろうという意志はまるでない。ヒカルは今回も一所懸命『Automatic』で4回拳を振り上げていたのだが、皆にそれを具体的に要求することは結局一度も?なかったのかな。全公演見ないとわかんないか。兎も角、ヒカル自身がそうだからというのが大きいのだろうが、ライブとなったら各人が好き勝手にノるなり聴き入るなりすればいいというスタンスで、マスゲーム的な一体感を作ろうというのもないし、楽章間でだけ咳払えという空気でもない。ダラダラ集まっててんでバラバラに振舞ってよし!の空間なのだった。

だからこそ『初恋』の静寂の精度は驚愕だった訳で、そこは空気の読める(しかし理屈は通じない)日本人の真骨頂とも言えるのだけれど、1万人単位の人間がそれだけ歌を聴いていたというのは、なんだろうね、てんでバラバラでもやっぱみんなヒカルのこと好きなんだろうね。1万円払ってきてりゃそりゃそうなんだろうけど、他のコンサートとかって意地で行ってる人結構いらっしゃる感じなので、そこは純粋に嬉しかったなぁと。

そんななので、例えばたった今の御時世にヒカルがコンサートを開催してたらどうなってたかなとか考えたのだが、まぁ中止するにしてもやるにしても、そうそう変なことは起こらないんじゃないかなと思ったのでありましたとさ。でもホント、どうなっていただろうねぇ……。