無意識日記々

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最良の方法は"売れなくなること"

先週書いた「LIVEコンサートでどうやっていいサウンドを提供するか」というテーマだが、この話にはオチがつく。いいサウンドのコンサートをする為の最良の方法は、「売れなくなること」なのだ、と。

理由は単純明快である。サウンド・メイキングは、コンサート会場が大きくなればなるほど難しくなる。つまり、小さい会場でやればよりよいサウンドを得る事が出来るのだ。そして、LIVEコンサート会場が小さくなるというのは来るお客さんが減る事。つまり、売れなくなれば小さな会場でLIVEが出来、いいサウンドが得られるのである。

冗談みたいだが、これは本質的な事だ。かつてザ・ビートルズの誰かが「ビートルズを観たければコンサート会場へ来てくれ。ビートルズを聴きたければ家でレコードをかけてくれ。」と言ったんだとか。彼らのように「大きい会場でしかできない」ビッグな存在は、LIVEでのサウンドを諦めるしかなかったのだ。


そして、話は単純ではない。サウンドのクォリティーと聴衆の数がトレードオフである時、どのバランスを選択するかは個々の価値観の問題である。例えば聴衆が歌を歌うような場合だ。5万人のオーディエンスの大合唱は圧巻である。その空間でギターサウンドのクォリティーがどうのこうのと愚痴を垂れたら野暮だと謗られても仕方ないかもしれない。そういった特性をもつコンサートなら音質を犠牲にして沢山の聴衆を入れた方がいいだろう。

ならばヒカルはどのタイプか。多面的な魅力を放つミュージシャンだから個々の希望も多種多様であろうが、最大多数は「ヒカルの歌が聴きたい」なんだと思うのだ。ぼくはくまを一緒に歌いたい、ダンスチューンで大はしゃぎしたい、いずれも大いに結構。どんどんやって欲しい。しかし、最大多数派閥では、ないだろう。そこはもう、バランスをとるしかない。


もしかしたら今でもツアーが始まればWeb上で論戦になるかもしれないテーマがある。「宇多田ヒカルのコンサートは、立って観るべきか座って観るべきか」――人によっては「何言ってんの」となるし今時それがハッキリしないLIVEコンサートも珍しいのだが、ファン層が多種多様だとどうしたってそこで意見の違いが出てきてしまう。

じっくりヒカルの歌声に聴き入りたい人は座って耳を澄ませたい。一方、ヒカルを「J-popアーティスト」として捉える人は立ってはしゃいで盛り上げたい。前者からみれば後者は騒音だし、後者からみれば前者はコンサートを盛り下げる悪である。この溝はなかなか埋まらない。


これからどうなるだろうか。それも、売れ方によって変わってくる。大ヒット曲を連発し、ドームや競技場でしかコンサートを開けなくなれば皆立って観るようになるだろう。耳を澄ましたって音質は酷いものなのだから。一方、徐々に聴衆が減りホール・クラスが主戦場になってくると落ち着いて座って聴くスタイルもくるかもしれない。まぁ、前の方の人が立っちゃったら後ろの人はステージが見えないから嫌々ながら立たざるを得なくなるのだが、座りたい派の圧が強くなれば前の方の人は気まずくなって座り始める。その境目はどこらへんだろうな。

更に聴衆が減ると一旦逆転現象が起こる。1000人くらいの聴衆を相手にするとなると、クラブチッタをはじめとしたスタンディング・ライブ・ハウスを使うようになる為、聴衆は立って観るしかなくなる。だって椅子ないんだもんね。

ここから更に減って数百人単位になってくるとクラブチッタではパイプ椅子のご登場である。ライブハウスでも座って観始める。もうこれ以下は、少なくともヒカルの場合、みんな座って観たいのじゃないか…

…いや一概には言えないか。特に、海外のファンは国によっては日本より遥かにエネルギッシュで、ライブはスタンディングが当たり前という風潮になっているかもしれない。聴衆が20人でもスタンディング。椅子になんか座らない、とね。


まぁ色々考えてきたけど、いちばんの問題は、売れなくなった時にヒカルがモチベーションを保てるかどうかである。果たして、どれぐらいまで聴衆が減っても大丈夫なのか。次回に続きます。