無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

"Painkiller" or "Comfortably Numb" for your

質問の要旨は「誰かと別れる時の痛みを乗り越えるには?」といった風だったか。それに対するヒカルの答が「もともと痛みが最初にあり、その誰かと居る時は彼が(日本語にもtheyにあたる代名詞誰か指定してくれ)“痛み止め/鎮痛剤”となっていただけだ」。これが皆に衝撃と共感を与えた。(この二つを同時に与えれる事は極めて稀なのだが我々はヒカルのお陰でかなり慣れて麻痺してしまっているかもしれない)

確かに、その発想は無かったわ。凄い。

ただ、“反対側”からは常に実感していた事だ。誰かと居る事の方がanomalyな人間にとって、その誰かと居る時間は「一人で居る時に感じていた感覚が麻痺している」時間だ。その誰かが増えれば増えるほど麻痺の程度は甚だしくなり、誰かの総体が全体とか社会と同義になった頃にはほぼ総ての感覚が喪われる。そこからの別離はあの懐かしき感覚を取り戻す事だ。呟く、「嗚呼、すっかり忘れていたな」と。

こちらの感覚は結構普遍的だろう─そうである事がnormalな人間にとっては、だが─が、誰かと居ることが当たり前になっている人間にとってはそうではない。喪失は苦痛であり、常にはなかったものだ。それら二つの異なる人種は、根本から相容れない。

ヒカルは、その全く相容れない二つの人種の橋渡しを"original pain"として定義付けた。これは画期的な事だ。まさに、ヒカルにしか出来なかった。私にとってその痛みは懐かしく忘れていた(かもしれない)感覚であり、貴方方にとってはまさに痛みそのものだろう。人との絆が心地好い麻痺として痛み止めを続けてくれていたのだ。原初に孤独を置く瞳と絆が人を作る作法の双方から等距離でなくばこの気づきは与えられない。普段どれだけの苦痛をよしとして受け容れているか想像もつかない。それこそが物語の意義であり、つまんない人生を打ち棄てる原動力でもある。全くこの人からは目が離せようがないぜ。