無意識日記々

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人と別れる痛みについて語る前に。

インスタライブ第二回は中村倫也が参加したことも手伝って幾つもの記事が出た。二人の知名度を考えれば当然だが(と言いつつ私はついこの間まで中村倫也という100万フォロワーの役者についてほぼ全く知らなかったんだけどね)、iPhoneを机の上に立てるだけでこれだけの注目が集められるようになっただなんて、17年前の『20代はイケイケ!!』の頃と較べると隔世の感がある。あんときゃ懸賞に自動車まで登場したんだよ! ゴールデンタイムのテレビ番組みたいな予算が動いてた訳だ。今は昔。ほぼコスト無しでこの結果だよ。

ふたつ注目点がある。ひとつは、「誰かとの別れを乗り越える痛み」についてのヒカルパイセンの回答がウェブ記事になった事だ。今、こういう「宇多田ヒカルの世界観」について注目が集まったことが非常に興味深い。デビューした当時はバイリンガルだとか成績がオールAだとか藤圭子の娘だとかコロンビア大学に家から近いという理由で受験して合格したとか、そういう話が芸能記事のメインだった。音楽の話をしてもR&Bがどうのとか符割りが独特だとかそういう表層的な話で、例えば『For You』で描かれている傷とか孤独とかは何を表現しているのかとかそういう踏み込んだ着眼は音楽専門誌のインタビューでなければ窺えなかった。それが、かなりコアなこの問答を一般記事にしようという記者が出てくるまでになったのだ。ただ着眼するだけでなく、“こういう話に興味を惹かれる読者が一定数以上居るはずだ”という見立てがなければ、どれだけマイナーなポータルサイトだろうが記事にして配信したりはしない。デビューから20年以上経って、送り手側も受け手側も変化してるんだなーと感慨に耽ったよ。あーそうさ甚く偉そうに、さ(笑)。

もう一点の方。それは、これがそもそも英語での問答だった点だ。あれだけずっとバイリンガルだとかアメリカで先にCD出してたとか言われてきてたのに、ヒカルが英語で発信したメッセージについて記事が書かれるケースはこれまで極めて少なかった。2009年の時などはインタビューで「恋人?あぁ、居ますよ。」と平然と答えていたのにひとつのゴシップ誌/紙も食いつく事がなかった。前回書いた事とも関連するが、今以上に「英語を話す宇多田ヒカル」という“現象”は「居ない人」扱いされていたのだ。あれだけバイリンガルを騒いでいたのに(騒いでたからか?)。それが、インスタライブというかなり極端に直接的な露出であったのがかなり大きいとはいえ、英語での発信が日本語の記事として取り上げられる日が来るだなんて、いやもう感慨深いの何のって。そりゃまだ瑣末かもしれないが、こういう記事がPVを稼げるという結果が出続ければ、ヒカルの英語圏での活動も、ひいては、英語歌詞による創作も、日本国内で、昔よりずっと注目されていく事になるのではないだろうか。

確かに、英語教育の低年齢化が推進されて久しいというマクロな状況もあるのだろう。それに追随して、宇多田ヒカルのファンの中にもUtada Hikaruを聴こう知ろうという人達が増えてきてくれれば、ヒカルの活動の幅が、自由度が、ぐっと拡がる結果となるだろう。まだ眉唾物の夢語りに過ぎないが、また数十年後、どうなってきたかを振り返ってみたい気持ちで今いっぱいですよ。