無意識日記々

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血と目と耳と

ダヌパくんはヒカルとキコの間に生まれた子だから日本人とイタリア人の……という言い方をしたい時に何て言うのが今は適切なんですかねぇ。

いちばんポピュラーなのは「ハーフ」なんだろうけど、これにも疑義を唱える人がいらっしゃると聞き。流石に昔の「あいのこ」や「混血児」は使われないようになっているだろうけど、「ハーフ」の扱いは今どうなってるんだろうな。

あたしはこう見えても言葉狩りには緩い態度でいて、嫌がられるんなら使わなければいいじゃないとか考えてる方なんだけど、はてさて、知ってる言葉が全部封じられるとなるとそれはそれで立ち竦む。

まぁ、血の話なんかしなきゃいいというのが答かもね。確かに。ヒカルとキコという個人がそこに居て、というだけのことだし。だって厳密に言えば「日本人」とか「イタリア人」って何?ってことになるんだもの。その人の国籍がその国の行政下にある以上の意味はあるのか。私は2人の血統を、過去の系図を知り尽くしているのか? 全く知らない。どんな人種が御先祖様にいらっしゃるのか。それを考えたら、血について言う「ハーフ」というのが一体何の事なのかわからなくなっていく。というか、そんなものはない。強いて言うなら、父と母のハーフだろうね。国籍なんて書類の話だし。

で私は納得するのだが、きっと世間では無理なんだろうな。例えば黒人と黄色人種の間に生まれた子は身体的特徴からハーフと呼ばれるんだろうし、場合によっては自ら言っていくだろう。それを理由に得をする事もあれば、自殺に追い込まれるほど虐げられる事もあるかもしれない。血の話は追えないが、見た目の話は即座に出来る。出来るからってする必要はないのだけれど、無知や無邪気は時に悪意ととられかねないからね。

バイリンガルトリリンガルも似たようなものでな。英語が堪能だと「あの子ハーフなの?」みたいに言われる事もある。ヒカル自身、小さい頃からニューヨークと東京を行き来して生きてきたから、半分半分の気分というものを結構知っているだろう。それは血の話でも見た目の話でもないのだけれど、息子にそういう話を語って聞かせるの事もあるかもしれない。血はわかりようがないが、言葉は聞けばすぐ響くし見た目は見たまんまだ。その差はデカい。彼の周りのこどもたちの無邪気が優しさに包まれて届いている事を祈りたい。