無意識日記々

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虎の色は白黒黄

8年前の夏のちょうど今頃、『Kuma Power Hour with Utada Hikaru』のエピソード4でヒカルはTHEESATISFACTIONを紹介しながらこんな風に語っていた。

『「自由の国アメリカ」とはいえ、女性で、黒人で、レズビアンでっていったら、もうすごいよね。「どんだけマイノリティやねん!」みたいな。でも、逆にそこまで行くと強いのかなと。無敵という気さえします。とてもかっこいいデュオだと思います。』

https://tower.jp/article/feature_item/2014/03/17/0704

これを思い出して「自由の国アメリカ」か、とちょっと溜息をついた。というのは、ウィル・スミスの子でバンドをやってるウィロー・スミスがインタビューでこんな風に語っていたのを読んだからだ。

「メタルの観客で黒人の女性というのは音楽業界の与えるプレッシャーに加えて、まったく違うものなのよ」

「今回、メタル・カルチャーやメタル界、ロック全般のプレッシャーが加わることになった。学校でもパラモアやマイ・ケミカル・ロマンスを聴いていたことでいじめられたわ」

https://nme-jp.com/news/103506/

つまり、黒人女子であるウィローは白人が聴くものだとされているロック・ミュージックに親しんでいた事でイジメを受けていたんだそうな。やれやれ。これが「自由の国」なんだってね。

彼女は今は大人になって、ミュージシャンとして「黒人で女性でもロックを聴いていていいんだ」と主張してくれている。

日本語民からすれば、あーそれわざわざ主張しなきゃいけない事なんだ、となるのよね。聴く音楽で他者から迫害を受けるとか一体どんなディストピアなのか。でもそれが現実なのよね。

ふと、ヒカルがUTADA名義でやってたとき、人種差別はどれくらいあったのかなと気になった。現在はBTSが全米1位をとるとか随分アジア人も目立っているけれど、2004年とか2009年とかの時点で、恐らくかつて「ブラック・ミュージック」と呼ばれたジャンルのサウンドを携えて切り込んでいったヒカルは、今思うとどれだけ度胸があったのやら。

2009年当時『Come Back To Me』のローカル・ヒットは主に「リズミック」と呼ばれるジャンル─R&B専門局でのオンエアだった。ピーク時は全米で一週間に千回ほど流れていたようだが、皆それがアジア人の歌声だと知っていたのだろうか? 或いは、もしかしたら、英語の発音にアジア人特有の訛りなどが皆無であった為、ラジオから流れてくるUTADAの歌声が日本からやってきていると気がつかれなかったのかもしれないよね。UTADAもリズミック・チャートではTHEESATISFACTIONやWILLOWに負けず劣らずどマイナーな存在だっただろうに、よくあれだけオンエアを勝ち取ったものだ。

当時もしヒカルがメディアなどから差別的な対応を受けていたとしても、ヒカルは永遠にそのエピソードを話さない気がしなくもない。自分から敢えて分断を煽るような発言はしない、ということと、生来の強烈な負け嫌いの性格があわさると、そういう愚痴々々した物言いをする気をヒカルはまるで起こさないんじゃないかなと。

時代が移った今、例えばヒカルのお子さんが差別を受けずに育つことも、可能になっているかもしれない。でも、ウィロー・スミスの話しぶりからすると、自由の国の方はまだまだ不自由なようだから、ニューヨークでの仕事も再開した(と言っていいのかな)ヒカルにとって、いい環境がそこにあって欲しいと願わずにはいられない。ヒカル自身は、私のことよりもさ、って感じかもしれないけどね。