無意識日記々

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No Time to rest

明日28日21時から『Time』MVがYouTubeでプレミア公開されるそうな。プレミア公開ってなんじゃらほい?と思ったが、舞台挨拶の動画配信版てことね。子育て中のヒカル本人は難しいかもだが、照實さんや梶さんはチャットに来てくれるのかも。リアルタイムなので21時より随分前から張り付いてないといけないなこりゃ。

まーまだ明日21時までに1回か2回は日記を更新できると思うので、前回の続きを先に書いておくわ。

宇多田ヒカルは新進思想の(非意図的な)啓蒙者たり得る為発言炎上と疎遠だという話だった。そこでの懸念とは何か。世の中が反対側に振り切るかもしれない事だ。

「アダム&イヴ」を蹴って「ボニー&クライド」(『B&C』)を選んだエピソードからもわかる通りヒカルは男女同権思想だ。と言ってはみたものの、こっちからするとそんなの思想でも何でもない。男権とか女権とかいう言葉は存在せず人権一点張りなのだから権利なんて同じに決まっているのだが、そんなものは残念ながら理想に過ぎず、現実には男尊女卑的思想が罷り通っている。当たり前の事を言うだけで思想と言わねばならない。これが現実だ。

それが極端になる事を恐れている。野田洋次郎クラスの著名人がああいう発言をするというのは彼の無知に期するだけでは終わらない。彼は無知かもしれないが、空気は読んでいる。読み間違えだと言われそうだが、そうとは言い切れないと私は推測する。彼の周囲の言論空間(Webであれリアルであれ)ではあの発言は許容範囲だったのだ。それより広範に諮った時に少数派だっただけで、彼の周りには確実にああいった思想が息衝いている。そうみる。

今回は、少なくとも私の観測範囲に於いて彼は少数派だったが、今後はわからない。私のこどもの頃とは違い、今のご時世、優生思想をタブーとせずに宣う人間が増えている。ネットで可視化されただけだろうと言われそうだしそれについては反論も反駁も議論もしない。印象の話だもんね。同感するか否かは自由だ。

ヒカルの思想が、今後、少数派になる恐れがある。思想は日進月歩で世の中は男女同権に近付くし性の多様性もより認められていくようになるし人種差別も解消されていくだろう、という楽観論は少なくとも日本語圏では危ういとみる。どう転ぶかまだまだわからない。そんな状況下でもヒカルは言説を曲げる事はしないだろう。そうなった時に“逆炎上”する可能性が浮上する。そうなったらこの国ももう終わりだと言われそうだが、ネットで見てるこの20年間だけでも、思想空間はかなり駄目になっている。人が増えるとはこういうことなのか。

ヒカルが活動規模を縮小するなら大丈夫だろうが、残念ながら&嬉しいことに、今の認知度では相変わらず商業邦楽のトップアイコンのうちのひとつとして活動が続いていくだろう。このあと5年や10年経過する頃に、野田洋次郎が多数派になって宇多田ヒカルが少数派になっているかもわからない。ヒカルは変わらない。我々大衆の方が変質するのだ。そして相対的に、宇多田ヒカルの立場が変化する。そうならない為にも、日々の言動の中で出来るだけ当たり前のことを言っていきたい。さっきの「男権も女権もない。人権があるだけだ。」みたいな。殆どトートロジーなのだが、現実は当たり前の事を言う事すら許してくれない。まだまだ予断は許されないのである。きっと永遠に。