無意識日記々

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Girls, you know we have it better than the boys ?

女性解放云々の文脈で語る時にまず留意することはアーティスト宇多田ヒカルとしての活動と個人の宇多田光としての活動を分けて考える事である。まぁそもそも後者に関しては殆どこちらに情報が漏れ伝わってこないので憶測で話すしかない─いや話すこと自体憚られる、か。そこはある程度想像で補うしかないやね。

で前者の活動に関していえば、寧ろそういった女性解放云々の影はかなり薄い。特に女性を勇気づけようとしている気配はほぼほぼ無く、いざ応援するとなると『Keep Tryin'』や『Kiss & Cry』にみられるように老若男女全体が対象となる。

もっといえば、ヒカルのアーティスト活動、その中でもとりわけ歌詞に関しては寧ろ世に氾濫する性差を強調した内容とは一線を画し、性差や女性性を一歩引いて相対化するところから始めているとすら言える。

実際、ヒカルの作詞術は、どちらかといえば両性に当て嵌まる事柄をひとつの歌に歌い込む所に重点が置かれていて、性別が強調される『ともだち』や『Poppin'』のような曲は少数派に数えられる。各個の楽曲は兎も角、全体としての傾向からは女性解放的な視点は強くない。

だからこそ、先日のInstagramのようにそういった"思想"が見え隠れする(いや今回は隠れてないか)メッセージがあると目立つといえば目立つ。こちらの印象としても、卓抜した作詞家だとか大富豪だとかいうステロタイプなアーティストとしての横顔から離れて「女の子の味方」としての宇多田光を垣間見れた気がしてなんか嬉しい。

昨年横アリと幕張で客層観察(いつもしてまーす)をして印象に残ったのは、20代~30代くらいの女子同士のカップルの多さだった。恋人同士かはさておきね。チケット販売の性質上2人組だらけになるのは当然なのだが、所謂"J-popの大スター"のコンサートに於いて男女カップルがメイン層の座を明け渡すというのはかなり特異なのではないか。

アーティスト活動の中では然程強調されていない「女性を応援する」アティテュードが、どうやってそういった客層を刺激しているのか…という話からまた次回、かな。