無意識日記々

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♪真夏に雪を降らせて〜季節を冷ま〜すの〜♪

今日8月19日は俳句の日。ヒカルの俳句といえば小学6年生の折に恐らく学校の授業の一環で伊藤園の「おーいお茶新俳句大賞」に応募した『ゆきだるま いっしょにつくろう とけるけど』が有名だろうか……ってこの日記じゃ取り上げ過ぎるほど取り上げているが、今日もまた取り上げよう。怯まない私。…夜だけに?(わかりづらい)

この俳句の解釈は読み手により様々だろうが私には「出来た曲は聴かない。一切。」と公言するヒカルの性格から照らし合わせるに「作るのは過程が楽しいのであってその結果はどうでもよい」という風な事も言いたかったのだろうと捉えている。

これが未だに解せない。音楽は仕事だからいいとしよう。商品を出荷したらもう用はない、というのはある意味プロフェッショナルだ。しかし、ゆきだるまを作るのにプロも何もないだろう。やっぱり出来上がりを楽しむ時間はあって欲しいもんなんじゃないの?

例えば、料理は確かに楽しいが(特にお菓子作りは化学実験みたいだし)、だからといって出来た結果がしょぼかったら私は凹む。まずいの作ったのかと落ち込む。或いは、作るのがひたすら面倒だったとしても、味が良ければ苦労した甲斐があったと思える。結果は過程を肯定する意味でも重要なのだ。

あたしなんて、この半分眠りながら書いてる日記ですら「週末に纏め読みする」のが楽しみなのだ。自分の書いた日記をわざわざ読み返すだなんてある意味気持ち悪がられる事なのかもしれないが、5000も6000も書いていると昔のなんか忘れてるからちょうどいいのである。いちいち「面白いこと書いてんな」とか「つまんねーこと書いてんな(笑)」とかツッコミを入れながら読んでいる。それがあるから自然に続いているとも言える。読み返すのが楽しくなくなったら自然と書かなくなっていくだろう。

ヒカルは、違うんだろうか。自分が聴いて楽しむ為に書いた曲というのがあれば、いちど聴いてみたいものだ。或いは、リリースされた曲の中でそういうのがあれば教えて欲しい。

大体歌入りというのもまずいのかもしれない。自分の声だからねぇ。これが器楽曲、インストナンバーだったら日常で聴き返して楽しむ事が出来るのかもね。

俳句に話を戻すと、これが「ゆきだるま いっしょにつくろう とけるから」ではないこともまた気にかかる点だ。消えてなくなるからいいんだよ、純粋に作るのを楽しめるから、だってあんな大きなもの、消えない何かで作り上げたとしたら仕舞う場所に困るだろう?─なんていう哲学では、ないということなのだろう。やはり、『とけるけど』であるからには、消えゆく雪のほろ苦さを感じさせるものであり、つまり、『Flavor Of Life』の『降り積もる雪の白さをもっと素直に喜びたいよ』というのは、「どうせ雪なんてすぐ踏み荒らされて真っ黒になっちゃうんだよ」だなんて擦れっ枯らしな事を言うんじゃなくて、いっときでも鮮やかに白く在る事を讃えよう、という意味を含んでいる筈なのだ。「どうせ溶けるんだから作っても仕方ない」とか言ってないで取り敢えず作ってみなよ、最後は溶けて無くなっちゃうかもしれないけど、楽しいよ、と。

その「消えゆく儚さ」をも全肯定した名言が10年前の『生きてりゃ得るもんばっかりだ!』なのであって、時間全体を抱き締めてる人は視界が違い過ぎるなと改めて思うのでありました。でも、やっぱり、あれだけの名曲を次々作っておきながら聴き返さない事に私は解せないままなのだった……。