『Face My Fears』に『Time』に『誰にも言わない』にと次々新しい曲がやってきてくれてはいるけれど、未だにアルバム『初恋』を消化しきれた実感が無いんだよね。いやまぁそれは『Fantome』もだし、どの作品もある程度そうなんだけど、『初恋』の場合は、なんというか、シンプルに言ってしまえばセールス面でそこまで話題になっていない為に外堀の外側が静かだったなというか。ツアーがあったから外堀の内側は喧しかったですがね。
アルバム全体の曲調の幅は大したもんだし、歌詞のテーマもサウンドもバラエティーに富んでいて本来なら「カラフル」とでも呼びたくなる作風の筈なのに、どういう訳か『Fantome』と似たセピア色のモノトーンが主たる色調になっているるような感覚が拭えないのだ。
ノスタルジックなのだろうか? iTunesで再生回数をみるとコイツ(私ね)がアルバム『初恋』を大変楽しんでいる事はよくわかる。気に入っていない訳ではない。当たり前だ。
例えば、さして派手なヒット曲に恵まれた訳では無いから、内輪ウケするような作品を内輪で褒めているだけという危惧が頭から離れなかったりする? それとも、オーガニックなサウンドがリア充過ぎてヲタクとしては遠慮がちになる? うーん、どれもよくわからない。
ヒットというか、シンプルなポップチューンというのは、あんまり無いというか、そういう曲、例えば『Too Proud』なんかのことなんだが、アルバム全体としては傍流というか主役じゃないというか、なんだかそういうターンのアルバムなのだ。Popsが脇役的な。あたし個人はそれで全然楽しめてしまうからそれはそれでいいんだけど、シーンの中の宇多田ヒカルという存在もまた世の中には浸透していて、そういう消費の仕方をしている人にはもしかして『初恋』は印象が薄かったりするのかなというところが少し気になる。
気になるのは、ヒカルが、「恐らくそうなるだろう」と感じながら作ったような……ここは微妙なところで、音楽職人として精魂込める以上一枚でも多く売りたい筈で、しかし、なんだろ、「宇多田ヒカルらしさを投げ出さなかった」ようなそんな雰囲気なんだよね。デタッチメントが少ないというか。セピア色っていうのはノスタルジーというより、「昔から知ってるヒカルらしさ」の事な気がする。つまり、私個人は『初恋』の作風は大変嬉しい。『EXODUS』がそうであったように。ヒカルの匂いとか体温とかを感じてる気分にさせてくれる。
だが、売れる作品はそこから少し離れた所にある。『Flavor Of Life』は、バラード・バージョンを頼まれて作った。それがバカ売れした。一方でオリジナル・バージョンはヒカルの指紋だらけのサウンドであたしはそれを聴いて安心した。ファンとして、そういうことでいいのかどうかを悩むのは烏滸がましいし厚かましいとはわかっているのだが、匂いのあんまりしない曲もまた聴いてみたいと思い始めているのかもしれない。……うん、贅沢も程々にしろよ?(笑)