つくづくヒカルは音楽家向きの性格をしてるなぁと思う。
ヒカルは今まで「音楽一筋」で歩んできた訳では無い。その年齢毎に将来なりたいものが変わっていってた。“Get Wild”の間奏部分に蘊蓄を垂れていた5歳児の頃はこの間触れた通り『大きくなたらかしゅになりたい』と言っていた。しかし小学校の頃になるとスタジオ代の為に車を売り払う両親の無茶苦茶ぶりに辟易し大きくなったら堅実な仕事に就いてやると心に誓い勉学に励み飛び級までした。その後中高生の頃は哲学や文学の分野も悪くないかもと思うようになり(これどこで言っていたっけなぁ?)、大学に進むと科学者になって白衣を着るのもいいかな、なんて言い出した。二十歳くらいまでは音楽を生業にする決意を固めていた訳では無かったのだ。まぁ、本音の所はわからないけどね。発言を繋ぎ合わせるとそうなる、って話ですわ。
しかし結局ご覧の通り、途中ブランクはあるものの成人後はひたすら音楽家としてのキャリアを築き上げている。多分、ヒカルが普通に生きているといつの間にか音楽家になってしまうのだろう。(だからわざわざ『人間活動宣言』をして意図的に離れる必要があったのだ)
ヒカルの性格のどこが音楽家向きかといえば、「何から何まで」が答になりそう、だ。負けん気が強かったり、くまちゃんを大事にしていたり、凝り性だったり、色々あるよな……その中でひとつ今取り上げたいのは「落ちてるものを見つける能力」だ。年初にテレビ出演して皆にも知るところとなったあの性癖(?)である。
音楽家、特に作曲家は新奇な楽想を着想する事に長けていなければならない、と思われがちだ。それは全くの真実なのだけれど、とはいえ第一義はそれではない。寧ろ、ありきたりな主題を如何に活かす事が出来るかの方がより重要となる。
前に『COLORS』のキーボード・リフの話をした事を想起。ああいうごくごくシンプルな音階を思いつく事自体はそんなに難しくない。シンプルなんだし。だが、あれが「曲になる」と察知できなければそこから作業は進まない。作業を進めようとは思わない。新婚旅行を中断してまで仕事に取り掛からない。ヒカルはそこに長けている。落し物を見つけるように、誰の目にも見えているのだが誰しもが取るに足らないとして気にも留めない何か見出してそこに価値を察知する。思いつくというより見逃さない、見捨てない。そこに長けた性格であるという事がヒカルを優れた作曲家にしているように思える。
ものの見方……例えば、最新の落し物シリーズでも再び取り上げられた「道に貼られた絆創膏」。あれを「傷ついた地球を癒している図」に捉えられる感性があるかないか、というのが作曲にとってはとても大きい。新奇な楽想というのはすぐに大衆には受け容れられないが、在り来りな楽想は受け入れられ易い。そしてそれが取るに足らないものに陥らないのはヒカルがそこにある可能性や能力を即座に見抜けるからなのだ。「作れる」事より「見抜ける」事が大事って事ね。
この能力を伸ばし過ぎた為に、作詞能力が異様な領域まで達してしまったというのが私の見解で。『Single Collection Vol.1』のジャケットで宣言されているように、ヒカルの歌詞は自己予言的な側面を多分に含んでいる。つまり、言い方がオカルトじみてしまうが、「見抜く能力が高過ぎて未来まで視えてしまう」のではないか。ただ、その時点ではそれが未来を示しているとは気づけない。自分自身と繋がっているとは気づけない。現実が顕現して初めてそうだったとわかるような。鏤められた予言ともいえる。
勿論、自己予言の正体は自己暗示かもしれない。だが、それもまた無意識下を作詞によって曝け出したという意味では特筆すべき営みだ。いつも思う事だがヒカルは作詞を常日頃からとても怖いと感じているのではないかな。一方でそのゾクゾクがまた堪らないとか言いながら筆を執っていそうなので、やっぱりコイツは音楽家になるべくしてなったんだなと痛感するよ。いい性格してやがるぜ全くもう。