無意識日記々

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あーでもないこーでもない

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の初号試写があったそうで、関係者の皆さんの感想ツイートがちらほら。どれも感動して泣けた的な言葉が並んでる。正直拍子抜け。

というのも、じゃあ問題作じゃないんだなーと。いやそれを期待するのはどうなのという感じなのだが、20世紀のエヴァはエンターテインメントじゃなかったのだ。制作管理が破綻して第25話と第26話をまるまる犠牲にするという、しっちゃかめっちゃかな話題性が出発点だったのだ。

更に、同時代性というのも大きかった。セカイ系でありながら、その時を生きる人間の感情と絶妙にシンクロした。アニメという制作に時間のかかる媒体を使いながらライブ感を演出したのだ。

それを翻したのが21世紀の新劇序破で、普通にアニメ映画として楽しめるエンターテインメント作品を提示してきた。その路線でQも進むのかと思いきや、というのが2012年までの流れ。

となると、集大成たるシンエヴァは、問題作かつエンタメでないと気が済まない。ワガママなのは重々承知だがそれくらいでないと話題作にならないのよね。感想ツイートの数々からは熱気が伝わってこない。よく出来た作品ではあっても困惑が少なかったからだろう。

エヴァは鑑賞後に考察という娯楽を提供する事で後世に多大な影響を与えた。それが日本のインターネット黎明期と重なった事で「電脳空間で語られる」コンテンツとして支持を継続したのだ。新劇が制作されたのも、そういった背景があったからだ。

シンエヴァは「終局」という枷をつけられた事でこの特性と真っ向から対立する運命にある。ちゃんと内容を終わらせたのならあーでもないこーでもないと鑑賞後に考察と議論が繰り広げられる場面は激減するだろうし、終局だというのに謎を放置したままではそれは流石に許されないだろう。なので本来なら幕引き自体を反故にするのが正しいのだがそんな狼少年をやって今後も支持を得られるかわかったもんじゃない。呆れられるよね。

このように、どう転んでも何か言われる八方塞がりの中で人々を納得させるのに必要なのは理屈抜きの作品自体のパワー感になると思うのだが、それがなさそうというのがな。まぁ観るまでは当然評価は出来ないのだけど、もうちょっと期待感を煽って欲しかったなと。

しかし何より、誰も主題歌についてコメントしてないのがね!? あんまり効果的な使われ方ではなかったのか、初号試写だから省かれていたのか。事情は知らないが、聴いた人の感想はやっぱり気になるので、早々に誰か呟いてくれないかしらん。い、いや、事前の情報は少ない方が嬉しいかな。うぅむ、これは難しい。公開まであと1ヶ月、どうやって過ごしたものやらですわねぇ。