無意識日記々

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メッセのリンクは控えるけれど

そっか、間もなくイラク戦争開戦20年か。当時ヒカルがメッセでそれまでにないほど怒り狂っていたのを思い出す。よくあんな立場でその発言が出来るなと胆力の強さに慄いたものだが、なるほどその後の国際政治の歴史をみるに…という程詳しくないのだけど、「あの開戦は間違いだった」という評価がすっかり定着してしまった事を考えるとヒカルの怒りはごもっともの極致だったのだなと改めて合点する。極論すればどの開戦も間違いなんだけどね。

今のヒカルは流石にそういった発言は控えるようになった。インターネットにアクセスする人数が違い過ぎる。20年前はまだまだパソコンとガラケー(当時まだこの呼称はなかったか?)が主体で、Web上で発言する人は積極的な層だった。今やふらりと外食してもスマホがないと注文1つ出来ないみたいな、ネット接続が義務かした社会になっていて、消極的な多数派が有名人の発言を見ているのが現実だ。この状況では幾ら妥当な発言をしてもどう曲解されて歴史に名を残すことになるのかわかったものではないので、政治的な発言は極力控え、する時も慎重に慎重を期するようになった。これも環境適応変化の一環ね。

その割に『あなた』では『戦争の始まりを知らせる放送もアクティヴィストの足音も』などという直接的な表現を使ってくるなど、意識の低下どころか歌の歌詞にしてしまうほど今でも腹が据わっているのもまた事実。オフレコでいいなら言いたいことやまほどあるんだろうなと。親しい友人と飲んでたら朝までそんな談義をしたり…息子が家で待ってるのに朝帰りはしないか。

ウクライナへのロシア侵攻が本格的に始まってもう間もなく13ヶ月。どの戦争が報道されるかというのは日本語圏では「西側の都合」が大きくて、極東の国なのに大変なことではあるのだが、その都合に引っ掛からないアフリカ大陸での様々な紛争などは、そもそも余り報道されないから我々は存在自体知らなかったりする。世界のあらゆる国と深く貿易と交流を行うようになれば報道も変わるのだろうけど、非民主的国家との付き合いは注意が必要ってのはこの20年で痛感する人も多いだろう。

そんな中で音楽というのは国境を越えて伝わっていく。ストリーミング・サービスのお陰で宇多田ヒカルの歌が様々な国で聴かれていることを知り、聴かれていることを知ってその国の名前を初めて知るなんことまで有り得てる。今はすっかり翻訳機能も定着して、各国語に翻訳されたリリックビデオなども放流されるから、様々な思想を持つ国々でヒカルの歌詞が味わわれていくことだろう。J-pop市場では非宗教的、非政治的な歌詞が好まれるが、200を数える国と地域を相手にするとなるとはたしてどんな歌詞がこれから顕れるのやら。イタリア語圏やスペイン語圏のリスナーのリアクションがこれから増えるのかしらん。

…ふむ、踏み込んだ話をしてややこしいことになりたくないと思ったのか当たり障りのない話に終始しちゃったな今回の私は。ま、そんな朝もあるって事で。