無意識日記々

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part 2 of "Da Capo ≒ Rebuild"

『Beautiful World (Da Capo Version)』の冒頭で、ヒカルによる『Beautiful World』と『Beautiful Boy』(boysじゃないのよね)の分厚いコーラス・ハーモニーが何度か繰り返される。ここに於いてはリズムの意識が全く無く、ヒカルの声がまるで静物画として飾られているような、美術館みたいな静けさの中にぶわっと浮き上がってくるみたいなそんなパースペクティブだ。

そうやって醸成された神秘的な雰囲気の中でやっとヒカルが一番のサビを歌い始める(前回Aメロって書いちゃったけど単なる間違いです)。1:32あたりだな。ここでの歌唱にちょっと違和感を感じた人も少なくないはずだ。というのも、ヒカルがほんの僅かに音程を変えて歌っているから。

特に際立つのは『もしも願いぃ一つだけ叶うなら』の『いぃ』の部分とか『君の傍でぇ眠らせて』の『でぇ』の部分などかな。全体的にほんの僅かずつフラットさせている。半音とか4分の1音とかよりもっと微妙かもしれない。

ここらへんの微妙な音程の違いは、そうね、もしかしたらオリジナル・バージョンよりアコースティカ・ミックスと較べた方がもっとわかるかもしれない。オリジナルより更にジャストの音程で歌っているからね。リズムがハキハキしているのでそれに合わせた感じだからね。

なぜDa Capoでこう歌っているかといえば、そこまでギターと弦楽で作り上げてきた厳粛で神秘的な雰囲気にマッチさせる為だ。もし仮にアコースティカ・ミックスの歌い方で一番サビを歌ってしまうと「突き抜け過ぎる」のである。雰囲気を破ってしまう。『Beautiful World』のサビメロがオリジナルのリズムをバックにした時に放つ魅力とは爽快感とか熱気とか勢いとかだ。早い話がイケイケである。当然、このDa Capoの序盤にはそぐわない。故にヒカルはオリジナルのメロディー自体を、フェイクはせずにほんの僅かに音程を揺らすことでコード感との融和を図った。お陰で不協和音の齎す破綻からは距離がある。

こういう歌い方をした場合、メロディー自体はオリジナルと同じなのに何となく蔭のある気分にしてくれる。ここらへんは意図的なものでな。なぜならその音程に合わせたバックコーラスが重ねられてるからね。咄嗟とかではなく、寧ろ手慣れたアプローチなのだろう。特にヒカルがコブシを回す曲ではこの「音程の些細な揺れ」が威力を発揮する。例えば『Letters』なんかはコード感がメジャーとマイナーを行ったり来たりして非常に雰囲気の掴みづらい曲なのだが、ヒカルの繊細なコブシ遣いが楽曲の方向性を定めてくれる。ある意味十八番なのかもしれない。勿論、母娘共々「明るい曲を歌ってもどこか歌声に蔭がある」と言われて久しいのだが、ある程度までは意図的な手法を噛んでいたりもするのでした。

というヒカルの技術が光るのがこの『Da Capo Version』の序盤なのだが…あれ、このペースでサウンドをみていくと何回かかるんだ? まぁいいか、次回もまたこの続きから。(もう開き直った)