無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

目に見えていないこと

インスタライブでの「目の見えない人」からの質問もまた、私が事前にハッシュタグを追っていた中で目に止まっていた質問だった。回答する質問はランダムに選んでいる訳ではない。タイムラインを斜め読みする中で「ふと目に留まる」且つ「見過ごせない」ものが採用されるように思う。「これを読んだ以上スルーするのは難しい」と感じたものに答えていくのだろう。自分も、これは流せないなと思った。

そしてヒカルは自身の体験に基づいて様々な返答をしてくれたのだけど、なんというか、「こういうことのベテラン」としての落ち着きがあるというか、普段から気にかけてる事なんだろうなという雰囲気があった。勿論プロとして或いはボランティアとしてこういうイシューに普段から関わっている人達には敵わないが、ヒカルくらいの有名人になると見知らぬ人に声を掛けるというのは恐ろしくハードルが高いのだ。相手が自分の事を知っている可能性が凄く高いからね。その時に想定される厄介な出来事の数々は一般人(だからそれは毎度々々誰のことなのだ?)には想像も及ばないだろう。

そういうこともあって、ニューヨークに居た時のエピソードを語ったのだと思う。日本では声をかけたくてもなかなかに難しかったのだと。

今回自分も、白杖が国際的なものだと初めて知った。そもそも欧米がルーツなのね。驚いたというより、その事について考えたことがなかったというか。昔手話にも方言や各国語があると初めて知った時も「知らなかったけど、考えてみればそれは当たり前の話だな」となったんだが、要はそういった事が話題に上る機会があるかどうかなんだろう。その意味で、ヒカルが今回こういった話題を取り上げた事は非常に意義深い。聞いた人が実践するしない以前に「そういうことがあると知る」のがまず第一歩なので。知らなければあると気づけないし、あると気づかなければ何もしないだろう。ヒカルも有名になることで辛い事は沢山あったろうが、僅かにこういう、沢山の人に問題を気づかせれるというメリットもあるのだ。全く割に合わないのだろうけど。

これだけ社会の優しさに積極的なヒカルが、昔から自分の寄附行為を、じゃない、寄付という行為をあまり公にしてこなかったというのが、なんというかこの国の特徴というか。Utadaの活動を続けていたらアメリカでならそういったことは積極的に口を開いていたのではないかな。まぁ、わからんけどね。黙ってないとネガティヴな事が起こる善行が存在するとか、どれだけ人の足を引っ張るのが好きなのか。こういう事を書いた時に「いやねそれは事情があって…」と説明を始める人、あなたのことですよ。(いや誰やねんそれも)

話が脱線した。けど、ヒカルも、ただ質疑応答をそのまま受け取るだけではなくて、こうやって話題に上らせて話を拡げて貰いたくてこの質問に回答する事を選んだのだろうから、脱線は物騒にしても分岐や乗換をする程度なら歓迎なんじゃないだろうか─と、自分を擁護する方向に想像を巡らせても、何の説得力もないわな。気をつけます。はーい。