無意識日記々

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子似の親

次のアルバムが『my relationship with myself』に寄っているというのがずっと頭に残っていてね。

先日引用させてうただいたあの『Deep River』の詩をもう一度取り上げよう。

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誰もが自分に似たものを探している。

どんなに自分が嫌いであろうとも、自分に似たものなら愛せる。

尊敬や憧れという感情には、愛が無い。

然るに人が一生の中で最も愛すのは、

世界で一番似ている人ーーー自分の子供。

私は子供だ。

正しい道を進んでると信じているから、途中で捨てたもの

あきらめたものを、 犠牲だなんて思わない。

https://gamp.ameblo.jp/smile-smile-smile-world/entry-11610578954.html

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この、『然るに人が一生の中で最も愛すのは、世界で一番似ている人ーーー自分の子供。』からすぐさま『私は子供だ。』と繋げるのがこの詩の特異な所でな。「最も愛するのは自分の子供」で「私は子供」なら、自分で自分を愛しているの?それとも、自分の親にとっての最愛が自分で、だから私は子供なの?と疑問が尽きない。恐らく、その両方であったのだろう。そして、今ヒカルは自分に子供が居て、それはきっと「人生の中で最も愛す人」になっている。

つまり、『Fantome』も『初恋』も『my relationship with myself』と繋がっていくのだ。子として親をみた『Fantome』も親として子を見た『初恋』も、愛することも愛される事も自分自身との関係の中で溶け合うというか区別が無くなっていくというか。そしてそこから、親と子の関係も子と親の関係も導く事が出来る。この詩でいう『似たもの』を通じて自分自身を知っていき、遂にひとつの存在としての自分自身と真正面から相対する事が出来るようになってきたのではないか。

口ぶりからして、アルバム全体というよりは、制作後半のセッションで生まれてきた楽曲たちにその傾向がみてとれるのだろう。そして例によって締切ギリギリまで作詞を引っ張った曲がアルバムタイトルになるのかな。わからないが、ヒカルもわからないだろう。ただ、自分自身との関係性から、自分自身をもてなし楽しませ叱咤し励まし労り慈しみ癒し勇気づけ愛で捲る事が出来れば、なんだろう、結構“楽しい”アルバムになる気がする。ヒカルと一緒にいる時のダヌパは、きっと楽しいだろうから。